高明寺レポート
「良心」の要請
「良心」の要請
「倫理」の問題を、厳密な学問としてとりくんでおられる堀孝彦氏は、
「「良心」とは自己自身にかかわる道徳意識のことであって、意志決定から行為へ、
さらには行為後に至るまで全過程の責任を他人のセイにせず、
宗教や政治権力から自由な責任の主体を確保させるもの」
(堀孝彦『私注「戦後」倫理ノート』〔二〇〇六年〕有限会社港の人発行 二九六頁)
さらには行為後に至るまで全過程の責任を他人のセイにせず、
宗教や政治権力から自由な責任の主体を確保させるもの」
(堀孝彦『私注「戦後」倫理ノート』〔二〇〇六年〕有限会社港の人発行 二九六頁)
だと言っておられます。
そしてそれは「近代倫理」の中核に位置するものだとも言われています。
そしてそれは「近代倫理」の中核に位置するものだとも言われています。
この堀孝彦氏の指適にみちびかれながら、
わたしたちはその「宗教や政治権力から自由な責任の主体を確保させるもの」としての、
<わたしたちの>現代日本社会における「良心」を見出すとともに、
その「良心」が要請するところの声を聞こうとしなければならないと、思います。
わたしたちはその「宗教や政治権力から自由な責任の主体を確保させるもの」としての、
<わたしたちの>現代日本社会における「良心」を見出すとともに、
その「良心」が要請するところの声を聞こうとしなければならないと、思います。
「宗教や政治権力から自由」であるということは、ある宗教を信じたり、ある宗派(や党派)に属したりすることを
否定するわけではありません。
そうではなく、どのような宗教を信じようと、どのような宗派や党派に属していようと、
現代日本社会における「良心」としてわたしたちが共に了解し、
同意しうるような「倫理」が見出されなければならない、という意味です。
堀氏によれば、
「『良心起源論』を主著にもつ大西(祝)こそ「自律的良心 Autonomie」を主張する近代倫理の代表」です。
「彼の良心概念が、行為後の良心の責め(禁止的意識)に限定されず、
義務を果たした快感、束縛を脱した自由の心地としての「良心の平安」を強調していることは、
良心の自由論を生んだ近代倫理の特質をよく示しています。」
(堀孝彦『私注「戦後」倫理ノート』〔二〇〇六年〕有限会社港の人発行 二九六頁)
しかし「その後にかれの正当な後継者を欠き、近代倫理学は屈折(発展・展開が阻まれることを堀氏はそう呼ぶ)してい」
くといわれます。
堀氏は、その著『近代倫理の屈折』論文集の中で、大西祝、内村鑑三、井上哲次郎、和辻哲郎の四人をとりあげ、
内村鑑三については、大西祝とともに普遍主義に立つ者として肯定的に評し、
対して井上哲次郎、和辻哲郎の二人については特殊主義・利害優先的・非近代的な集団主義として否定的な評価を与えています。
内村鑑三については、大西祝とともに普遍主義に立つ者として肯定的に評し、
対して井上哲次郎、和辻哲郎の二人については特殊主義・利害優先的・非近代的な集団主義として否定的な評価を与えています。
「普遍的人間性に立つ倫理学を避け、特殊日本的な国体論にもとづく国民道徳論を説く井上哲次郎はもちろんのこと、
彼の批判から出発しながら、結局その枠内にとどまった和辻倫理学において、良心とは身勝手な(?)個人の行為を責める、
秩序の側からする禁止の声、全体性への復帰命令のことにすぎません。
「生ける全体性の表現」が日本国家を象徴する天皇とされていますから、象徴天皇制的良心ともいうべく、
依然として「他律 Heteronomie」道徳なのです。」
(堀孝彦『私注「戦後」倫理ノート』〔二〇〇六年〕有限会社港の人発行 二九六頁)
彼の批判から出発しながら、結局その枠内にとどまった和辻倫理学において、良心とは身勝手な(?)個人の行為を責める、
秩序の側からする禁止の声、全体性への復帰命令のことにすぎません。
「生ける全体性の表現」が日本国家を象徴する天皇とされていますから、象徴天皇制的良心ともいうべく、
依然として「他律 Heteronomie」道徳なのです。」
(堀孝彦『私注「戦後」倫理ノート』〔二〇〇六年〕有限会社港の人発行 二九六頁)
「それに対して「神ぬきの道徳では良心は萎縮する。良心は人を離れて神と向き合うときにのみある」とする内村鑑三は、
神なる絶対他律という「神律的良心 Theonomie」を対置します。しかしこれは近代的自律の単純な否定ではなく、
国家をも超絶する神を呼び込むことを通じて、神の側から辛うじて近代倫理を日本社会に確保しようとしたものと解釈できます。」
(堀孝彦『私注「戦後」倫理ノート』〔二〇〇六年〕有限会社港の人発行 二九六頁)
以上のような堀氏の見解もふまえつつ、私なりの考察をすすめていきたいと思います。
<わたしたちの>現代日本社会における「良心」を見出すとともに、
その「良心」が要請するところの声を聞こうとしなければならないと、思います。
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*〔今後考察すべきもの〕
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*〔今後考察すべきもの〕
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