ガンジ-のことば

 

非暴力主義で有名なガンジーの言葉

 「ガンディーはご承知のとおりインドの民衆を指導し、対英独立運動を指導した人です。
偉大な政治家であり、社会のリーダーであったと同時に、大変に宗教的な人でもありました。
 ガンディーが主張した「非暴力」運動の原語は「アヒンサー」といいます。
不傷害、不殺生という意味ですが、彼は宗教的確信からこれを主張したのです。
ガンディーによると、植民地支配は悪ですが、しかし、その悪を倒すのに暴力をもってするのも正しい方法ではない。
相手の暴力に対して、こちらは非暴力をもって対抗していく。
それは相手に対する愛でもあり、その愛に感じて先方が悪ある行為をやめるようにするものです。」
 (奈良康明『原始仏典をよむ(上)』NHケーこころの時代〔一九九三年〕NHケー出版・一〇三頁)  

 このように奈良氏が紹介してくださっていますが、たんにそれだけでは尽くせない内容を、ガンジ-の非暴力主義はもっています。
 ガンジ-自身のことばを聞きましょう。

 「卑怯か暴力かのどちらかを選ぶ以外に道がないならば、わたしは暴力をすすめるだろうと信じている。
だからこそ、一九〇八年にわたしが瀕死の暴行をうけたときに、もしわたしの長男がその場に居合わせたとしたら、
彼はどうすべきであったか逃げ出してわたしを見殺しにするべきか、
それとも、彼の用いることのできる、また用いようと想う腕力に訴えてわたしを護るべきであったかとたずねたとき、
わたしは息子に、暴力に訴えてもわたしを護るのが彼の義務であると語ったのである。」
              (マハトマ・ガンジー『わたしの非暴力』みすず書房〔一九七〇年日本語版・森本達雄訳〕五頁)

 「けれどもわたしは、非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するより雄々しいことを信じている。
有恕は武人を飾る。しかし、赦す側に罰する力があるときにのみ、自己抑制は赦しとなる。
無力な者が寛大を装ったところで、それは無意味である。」
             (マハトマ・ガンジー『わたしの非暴力』みすず書房〔一九七〇年日本語版・森本達雄訳〕五頁)

 非暴力ということが、決して、ただ傍観していることでも、不正をゆるし、卑怯を承認することでもないことがわかると思います。
もう少しだけ、ガンジーの言葉を引いておきましょう。

 「非暴力は活動的状態においては、自らすすんで苦しみを甘受する。
それは、悪をなす者の意志にいくじなく服従するのではなく、全心全霊をもって圧制者の意志に抗することを意味する。
この人類の法に従って行動するとき、一個人が、彼の名誉や宗教や魂を救うために、不正な帝国の全権力を拒否し、
その帝国の崩壊とその復興の基礎をおくことも可能である。」
             (マハトマ・ガンジー『わたしの非暴力』みすず書房〔一九七〇年日本語版・森本達雄訳〕七頁)