高明寺レポート
キング牧師のことば
「イエスは、相対立するものを融合する必要性を認めておられた。
イエスは、弟子たちが敵対する困難な世界に直面し、
政治当局者の反抗や古い秩序の擁護者たちの非妥協的態度に出会うだろうことを知っておられた。
イエスは、弟子たちが、伝統主義の長い冬によって心が堅くなった冷たい横柄な人々に出会うだろうことを知っておられた。
それでイエスは弟子たちに、「わたしがあなたがたを遣わすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである」といっておられた。
そして、彼らに「だからへびのように賢く、はとのように素直であれ」という行動の定則を与え給うた。
(……)われわれは、へびのような強さとはとのようなやさしさとを、強い意志とやさしい心とを結合しなければならない。」
(マーティン・ルーサー・キング牧師の説教集『汝の敵を愛せよ』新教出版社〔一九六五年日本語版〕一〇頁)
「まず第一に、鋭利な思考と現実的な評価と明快な判断によって特徴づけられた強い意志の必要性について考えてみよう。
強い意志は鋭く、洞察力があって、神話や伝説の殻を破り、偽りのものから真実のものをえり分ける。」
(マーティン・ルーサー・キング牧師の説教集『汝の敵を愛せよ』新教出版社〔一九六五年日本語版〕一〇頁)
キングさんのいう「強い意志」とは、そういう力のことです。
逆に、そういう「強い意志」をもたないとき、わたしたちは、かんたんに騙され、迷信を信じ、変化を恐れ、真実を拒絶する。
そして独裁者たちは、わたしたちが意志薄弱であるとき、その意志薄弱を利用して、
文明社会では考えられないような野蛮と恐怖の行動に人々をかり立てる。
キングさんは言います。
「アドルフ・ヒトラーは、自分の信奉者たちの中に意志の弱い者が非常に多いのを知って、
「私は多くの人々のために感情を利用し、少数の人のために理性をとっておくのだ」といっていたほどである。
彼は、『わが闘争』の中で次のように述べている。
「抜目のないうそを絶えず繰り返すことによって、天国が地獄であり、地獄が天国であると民衆に信じこませることは可能である。
……うそは大きければ大きいほど、たやすく信じられるものだ」。
「意志の弱いことは、人種偏見が行われる基本的な原因の一つである。」(一三~一四頁)
もう一つ、キングさんが必要だといっているのが、「やさしい心」です。
心のやさしさを伴わない意志の強さは、孤立していて冷たく、その人の生活を絶え間ない冬に閉じ込め、
春の暖かさや夏の穏やかな暑さとは縁のないものにしてしまう。」
(マーティン・ルーサー・キング牧師の説教集『汝の敵を愛せよ』新教出版社〔一九六五年日本語版〕一五頁)
キングさんのいう「やさしい心」とは、たとえばキングさんがつぎにあげるような「薄情な心」の反対です。
自分にとってどの程度有益かという面からばかりほかの人を評価する。
彼は、友情の美しさなどというものを経験することも決してない。
彼は非常に冷たいので、ほかの人に対し愛情を感ずることができず、あまりにも自己中心的なので、
ほかの人と喜びや悲しみを分かち合うことができないからである。(……)薄情な人間には、心から同情するという能力がない。
彼は、自分の兄弟たちの苦しみや不幸にも動かされない。(……)彼は立派な慈善に何ドルも与えるが、自分の魂をこめることがない。」
(マーティン・ルーサー・キング牧師の説教集『汝の敵を愛せよ』新教出版社〔一九六五年日本語版〕一五~一六頁)
キングさんは言っています。
「神が心やさしいだけに過ぎないならば、神は、柔和で感傷的すぎて、物事がうまくいかない場合、十分な働きができず、
自ら造ったものを統御することも不可能になってしまう。
また、その場合、H・G・ウェルズの『神、見えざる王』の中の愛すべき神のように、
良い世界にしたいと強く望んでいながら、悪の高まる力の前には、どうしようもないことを自覚することになろう。」
(マーティン・ルーサー・キング牧師の説教集『汝の敵を愛せよ』新教出版社〔一九六五年日本語版〕一九~二〇頁)
「また、われわれの仲間には、食い入るような憎しみと腕力をもって敵と戦おうとする無情で激しい人たちもいる。
しかし暴力は一時的な勝利をもたらすに過ぎない。
暴力は、社会問題を解決するよりも、もっと多くの社会問題を産み出してしまい、決して永続的な平和をもたらすことがない。
私は、われわれが自由のための戦いで暴力を遣うという誘惑に負ければ、
われわれの子供は長い間、絶望的な暗黒の苦難を受けなければならず、
子孫に対するわれわれの最大の遺産が終わりのない混乱状態だけだということになってしまうだろうと確信している。」