殺された側の論理

 
殺された側の論理藤井誠二さん

                     (抜粋資料)
 

 「私は、「殺された側の論理」すなわち被害者やその遺族のものの見方や考え方を、どうして長い間にわたってマスコミは、
どこかで敬遠するように、積極的に伝えることをしてこなかったのだろうと考え続けてきた。(……)

 「加害者の論理」は多くの代弁者がいたということになるのだが、そのマスコミの温度差はどこからきていたのだろうか。
 こんな言い方がある。加害者は「必然」なのだが、被害者は「偶然」なのだ、と。
 つまりそれは加害者の犯罪への動機が、
「不幸」な生い立ちや家族との関係、あるいは社会からの不当なプレッシャーや謂れなき差別などに起因していると考えられた一方、
被害者はたまたま偶然に「犯罪」に遭っただけなのだから、メディアで取り上げる意味は薄いのではないかという理屈だ。
すなわち、ジャーナリズムの仕事は加害者がなぜ生み出されたかを探究することに比重を置くあまり、殺された側の存在を 
ないがしろにしてきたのではないか。」
        (藤井誠二『殺された側の論理』〔二〇〇七年〕講談社 一~二頁)
 
 「通り魔事件のような事件はとりわけ「殺された側」の「偶然」性が高くなるし、未成年者や犯罪障害者が犯したケースだと、
事件そのものが法の中で葬られてしまうから、「殺された側」がいることすら忘れられてしまう傾向が強かった。」
        (藤井誠二『殺された側の論理』〔二〇〇七年〕講談社 二頁)
 
 「殺された側には論理がある。殺された側にしか主張しえない考え方がある。殺された側にしか見えない矛盾がある。
殺された側にしか感じることができない人間の心がある。
 私は少しでもそれを伝えたい。」
        (藤井誠二『殺された側の論理』〔二〇〇七年〕講談社 三頁)
 

 「許されることであれば、ぜひC、B、A、この3人で、私たちの目の前で、裸になって、(被害者に)やったように、
頭から熱湯をかぶせ、お互いに熱湯を掛けっこしながら、殴ったり、蹴ったり、2か月繰り返してもらって、最後に3人が3人とも
交代交代にネクタイで首を絞めて、3人とも死んで詫びてほしいです」

 こうわが息子を惨殺した加害少年らの前で陳述したのは、須藤光男さんである。
 須藤さんは法廷でこうも付け加えた。

「裁判長には自分の息子が(被害者と)同じ目に遭ったと思ってもらって、厳しい判決を下してほしい」

 須藤さんの息子は1999年に栃木県の山中で遺体で発見された。当時、日産自動車に勤務する19歳だった。
 加害者として逮捕されたのは4人の少年で、うち3人は19歳の少年と16歳の高校生だった。加害者少年グループは
2カ月にわたって被害者を監禁して、殴る蹴るの暴行、熱湯をかけるなどの凄惨なリンチを与え続け殺害した。
最後は山中に穴を彫り、埋め、コンクリートで固めた。
 須藤さんは検察官の質問にも陳述と同じように、
「犯人には死刑になってほしい。それ以外には答えられません」
 と答えた。殺人や傷害致死事件の被害者遺族が、加害者を同じ目に遭わせてやりたいと思うのはごく当たり前の感情である。
 しかし、加害者への検察側求刑は無期懲役。判決は、主犯に無期、共犯少年に5~10年の不定期刑。
 自首をした高校生は少年院に3カ月間送致された。」
        (藤井誠二『殺された側の論理』〔二〇〇七年〕講談社 二二四頁)

 
 「松村恒夫さんは、「刑事司法への被害者参加を可能にし、国家が独占してきた刑罰権を被害者の側と分かち合っていく
システムづくりこそが先決」と指摘したうえで、こう結んだ。
 「明治時代になった時、仇討ち権を被害者から取り上げていまの死刑制度ができました。さらに死刑をなくすというのなら、
せめて応報権を被害者個人に返してほしい。」
        (藤井誠二『殺された側の論理』〔二〇〇七年〕講談社 二二七頁)
 
 「私は死刑を煽っているわけではない。
しかし、死刑制度が廃止されれば、人間を何人殺そうとも国家がその加害者の生を保証するということになる。
そして、ここに記録したような犯罪被害者の複雑な思いを封じ込めることにもなる。
それが私たちの社会の正義に反するのか、適うのか、どちらなのだろうか。」
        (藤井誠二『殺された側の論理』〔二〇〇七年〕講談社 二二八頁)
 
 「殺された側は、あくまで法律で裁いてほしいと願うものだ。遺族が私的復讐などできるはずもない。
実行したらそれは犯罪になってしまう。加害者へ嫌がらせができるわけでもなく、殴りに行けるものでもない。
だからこそ、刑罰を与えてほしい。」
        (藤井誠二『殺された側の論理』〔二〇〇七年〕講談社 一三八頁)