単なる悪人成仏


 
 単なる悪人成仏          安田理深『純粋未来』

                                         〔抜粋資料〕
 
 安田先生はこう言われています。
 
 
「例えば、煩悩成就の凡夫が仏になるのだというが、南無阿弥陀仏を離れれば単なる悪人成仏ということになる。
悪人というもわれわれの反省に過ぎない。結局悪人への固執であり、自己の卑下に止まることである。
しかもそれを人に勧めれば、いたずらに人間の機いじめとなる。人間を圧迫して機いじめをするに過ぎない。
それでは煩悩そのものが機にならない。悪人が真の正機にならない。念仏を離れれば、本願をたのむ悪人になれない。
これは実体的な悪感情であって、これで人間を圧迫し脅かす、万年かかっていても駄目である。
南無阿弥陀仏ではじめて無限に深い煩悩を知らされ、またそれに固執しないですむのである。
念仏がないと悪があっても機に転成しない。悪人が成立しないと成仏の場所がなくなる道理である。
南無阿弥陀仏のところに我々の問題が我々に先立って答えられている、ということである。
南無阿弥陀仏のところに教行証が一体である。
 このことに疑い晴れたのが信である。  」

         (『純粋未来』1954(昭和29年)三重金蔵寺夏期講習会講義/ 文栄堂1994年刊 11頁~12頁)