インド思想と西アジア文化

 
インド思想と西アジア文化

         岩本裕説を中心として

             岩本裕『極楽と地獄』より抜粋

 

 「インドの最古の文献である『リグ=ヴェーダ』によれば、死者の住処は天であった。人間が死ぬると、
魂はその肉体をはなれて、父祖の通った道を通って、永遠の光のある場所に赴き、神々と同じ光明を授けられると信ぜられた。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六一頁)

 「次の『アタルヴァ=ヴェーダ』になると、さらに具体的に描写され、死者は風神マルツの涼しい微風にささえられて天国に運び上げられ、
冷たい水を浴びて完全にもとの肉体を回収し、最高の天で父祖たちと会い、そこでヤマと一緒に住む。
ヤマは最初に死んだ人間として天国への道を最初に見出した者であり、天国の王者とされた。
しかも、ヤマの王国は緑陰・酒宴・歌舞音楽にめぐまれた理想の楽土であり、
およそ地上では得ることのできない快楽はすべて天国で満たされ、あらゆる肉体的欠陥はなくなり、
神々と交わり父祖と親しみ、生前に地上において行った祭祀とか布施の徳が果報を受け、
甘美な食物と芳醇な飲物を満喫することができ、しかも美女にさえ不自由しないという理想郷であったことが知られる。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六一頁)

 「しかし、『リグ=ヴェーダ』を見ると、神々は罪人どもをだれも入っていくことのできない刑罰に遂いやるとか、
鬼女は際限ない深淵に消えるべきであるとか、悪人は暗黒な所で永劫の刑罰を受けるというような記載は見られるが、
死後審判の場処としての地獄についての記載はない。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六二頁)

 「『アタルヴァ=ヴェーダ』になると、後世において「地獄」を意味するナラカ世界という言葉が現れ、
天国(スヴァルガ)に対立するものとされているが、この世界は死者の世界ではなく、
女性の悪魔および魔術師の住処であり、また殺人者の住処ともされた。
しかも、ナラカ世界は黒く、光をさえぎられた最下の暗黒の世界であると記されている。
また、ナラカとは関係なく、バラモンに唾を吐きかけ鼻汁をかける者はみずからの髪を食いながら
血の流れの中に坐るというような記載も見られる。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六二頁)

 「時代が下って、後期ヴェーダ文献になると、ヤマは最初に死んだ人間として死と関係づけられるようになり、
死はヤマの使者と信ぜられた。また、真理に忠実な者といつわりを語る者とはヤマの前で区別されるとされ、
さらにヤマは他界に到着した人間の善悪の行為を量るという信仰もあらわれた。明かに死後審判の思想のあらわれである。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六二頁)

 「高慢なプリグ仙は他界へ行って、人間が切りきざまれたり食われたりする恐ろしい光景を見てふるえ上がる
というようなエピソードが生まれた。冥界遊行というか地獄についての最初の報告として注意すべき所伝である。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六二~一六三頁)

 「仏教において地獄の主とされる閻魔はヤマで、その音を写したものである。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六三頁)

 「このような変化がどうしておこったのであろうか。
後期ヴェーダ文献の時代はインド=アリヤン人の世界の進展とともに原住民との混血が行われ、
バラモン教は異教的な要素を包含して新しい展開を見せた時代である。
しかし、地獄の信仰なり思想なりがインドの原住民の宗教信仰の影響で成立したという証拠はまったく知られていない。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六三頁)

 「ところが、インダス文明の時代以来文化交流の行われていたチグリス=ユーフラテス河流域には、
古くから地獄の信仰のあったことが知られている。
すなわち、この地域に西紀前三千年のころから栄えたシュメール族の間には「戻ることのない国」クルの信仰があった。
冥府クルは地下の陰鬱な国で、バビロニアおよびアッシリアのアラルルー、ヘブライ族のシューオールとともに、
セム民族が古くからもっていた地獄信仰の表彰である。
ギリシア人の信じた地獄ハァーデースは、このセム民族の信仰の影響で成立したことが知られている。
しかもシュメール族の間には、西紀前二千年ごろに、女神『イナンナの地獄遍歴』の神話があり、
西アジアおよびギリシアの神話伝説にさまざまの影響を与えた。インドもその例外ではなかった。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六三~一六四頁)

 「インド文化史の立場から見て、地獄についての信仰は西紀前十世紀ごろよりのちにインドに達したと考えられる。
このことは『リグヴェーダ』と後期ヴェーダ文献との間にたどられる文化の断層が西アジアの文化の影響によることから知られる。
すなわち、『リグ=ヴェーダ』は銅の時代に属するのに対し、ブラーフマナ文献に鉄が見られるのは、
アッシリア帝国における鉄の文化の影響によるものである。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六四頁)

 「また、『リグ=ヴェーダ』においては近親相姦は罪悪視されているのに対し、
ブラーフマナ文献に天とその娘の相姦の神話の見られるのは、イランにおける近親結婚の風習に由来する。
また、『旧約聖書』に有名なノアの洪水伝説とまったく同じ伝説が
インドでは人間の始祖マヌについて物語られているのも、このような文化交流に基づく。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六四頁)

 「『マハーバーラタ』の神話においては、ヤマと地獄の性格は明確となり、地獄思想の固定化が見られる。
ヤマは父祖の主であり餓鬼(プレータ)の王であり、しかも「法の王」として亡者を裁断する。
死んだ人間はすべてヤマお王宮に行かねばならない。ヤマの国王は南方の、地の果にあり、暗黒に包まれている。
その国土へ到る道は密林のように恐ろしく、途中には木陰をつくる樹木もない。飲む水もなければ、休む場処もない。
亡者はヤマの意志を執行する使者によって引きずっていかれるが、生前に物惜しみせず、また苦行をした者には救いがある。
(……等々。仏教の地獄とよく似た記述があり)いずれにせよ、後述する仏教における地獄の展開の先駆をなしている。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六四頁)

〇「救いのある者」生前に物惜しみをしなかった者。苦行をした者。燈火を与えた者は途中で燈火が道を照らし、
断食を行った者は乳酪(*私ヨーグルトとしておこう)をあたえられる。
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六四頁)

 これらの地獄は「贖罪をせず、かえって罪悪に陥り、しかも悔いることのない人々」が墜ちるところとされ、残酷悲惨と記されている」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六六~一六七頁)
 

 仏典においても、すでに早くから、地獄の思想が導入されており、仏典の中でも最古層に属する
『ダンマ=パダ』や『スッタニパータ』の中にその記述があることは、前節(仏教の「罪」と罰」)に見たとおりです。
 またその地獄名からして、バラモン・ヒンドゥー教の影響によるのではなく、仏教独自の伝承であることから、
すくなくとも「地獄の思想」そのものに関しては、西アジアにその起源をもとめるとすれば、
初期仏教とバラモン・ヒンドゥー教とがそれぞれ独自にその思想を取り入れたものと考えられます。

 しかし西暦二・三世紀ごろになると、仏教経典の中の地獄名に、バラモン・ヒンドゥー教の地獄名と重なるものが出てきます。

 たとえば、『往生要集』の地獄の典拠となっている『正法念処経』『倶舎論』『大智度論』などは、
八熱・八寒・孤独の三種の地獄を記述します。

 その中で八熱地獄は八大地獄ともいわれ、まさに源信の『往生要集』が、
「等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・阿鼻(無間)」として挙げるものですが、
この名はすべて、西暦二・三世紀ごろまでに成立したとされる『マヌ法典』および
『ヤージュニャ=ヴァルキヤ法典』の二十一の地獄名の中ににみられるものです。

 そこには、「ラウラヴァ(叫喚)」「カ-ラ・スートラ(黒縄)」「サンガータ(衆合)」「サンジーヴァナ(等活)」
「アヴィーチ(無破浪*仏教では「無間」になる)」「アシパトラ=ヴァナ(剣葉林)」「ターパナ(灼熱*仏教では「焦熱」になる)」
などの名があげられており、大叫喚と大焦熱のみは、「ラウラヴァ(叫喚)」と「ターパナ(灼熱・焦熱)」に
「マハー(大)」のことばをつけ加えたものでしょう。

 「死後の審判という宗教信仰、すなわち宗教学でいう終末論(エシャトロジー)は、
キリスト教・ユダヤ教そしてイランのゾロアスター教では有名であるが、仏教にはもともとない宗教思想である。
よく知られているように、仏教には善因善果・悪因悪果という業報思想があり、
その結果として四生あるいは六道(人間・天上・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六種の生存形態)
に生まれかわり死にかわるという輪廻の思想があった。死後に審判を受けるという終末論的な思想は全然なかったのである。
(……)それでは、このような終末論の思想は、いつ、どこで、仏教の中に入りこんできたのであろうか。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一九二頁)

 「中国の古代信仰によれば、人は死後に冥界におもむくとされたが、死後における審判の思想はみとめられない。
ところが六朝時代になってくると、冥界遊行の説話とともに冥界における裁判の模様が物語られるようになり、
死後審判の思想がみとめられる。
このことが仏教における地獄の影響であることは明らかであるが、前に述べたように、
死後審判の思想なり信仰はもともと仏教にないものである。
したがって、六朝時代の仏教に地獄に関連して死後審判の思想のあることは他の影響に基づくものと考えざるをえないであろう。」 
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一九三頁)

 「十王信仰の背景をなしている七日を基準となしている計算法は 明らかに西アジア方面における七曜の説にもとづくものである。
インドでも古くから一週をあらわすのにサプタ=ラートラ「七夜」という表現を用いているが、
中国に七曜の説をもたらしたのは西暦一世紀の頃から八、九世紀ごろに至るまで西域一帯に商人として活躍したソグド人である。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一九五頁)

 「この七曜の名を中国に伝えたのは一般にマニ教徒のソグド人であるとされるが、
マニ教がソグディアナ地方に弘まったのは三世紀後半のことである。
この地方には既に古く西紀前数世紀のころからゾロアスター教が弘まっていて、ソグド人のほとんどはゾロアスター教徒であった。
西暦紀元前後のころには仏教がソグディアナ地方に流布し、
二世紀の中ごろには中国に来朝して訳経に従事する人がでるほどに盛んであったことが知られる。
二五二年に『仏説無量寿経』(すなわち『大経』)を翻訳した康僧鎧は実にそのような人であり、
ほかに康臣とか康孟祥というような人もいる。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一九六頁)

 「そのあとにマニ教徒が来り、ついで五世紀ごろにはキリスト教の一派ネストル教が流伝した。
この地方は前に述べたように四方の物資の集散地であり、住民は商人が多かっただけに、
国際的な空気が充ち溢れており、開放的であったことが知られる。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一九七頁)

 「さきにゾロアスター教の流布したソグディアナ地方に西暦紀元前後と思われるころに進出した仏教徒が、
ゾロアスター教がもともと持っていた死後審判の思想を仏教に採り入れたことも、あながち否定できない。
しかも、仏教徒の場合、かれらが従来持っていた業報思想を死後審判の思想に改釈することは、きわめて容易であったと考えられる。
また、それまでにかれらはヒンドゥー教徒の地獄思想を自家薬籠中のものとしていただけに、
死後審判の思想への転換の可能性をもつものであったこともうかがわれる。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一九八頁)

 「こうした「三道」の伝承は近東地方を経てギリシアにも達し、
プラトーン(前四二七-三四七)の『ポリテイアー』(国家論)の中でソークラテースの語るエールの神話にも見られる。
アルメニオスの子エールとは、死んで復活した若くて美しい王であったとアルメニアの古い宗教伝説に語られる
アルメニア王アラーで、明かにオリエント地域における伝承であり、
イラン地域からオリエント地域における古代の信仰の中に死後審判の思想とともに「三道」の伝承のあったことを物語っている。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一九九~二〇〇頁)

 「したがって、古くからゾロアスター教徒であったソグド人によって、死後審判にまつわる「三道」の伝承が
中央アジアを経て中国に伝えられたことは、当然考えられることである。
また、それが仏教徒によって吸収されたことも、なんら不思議ではない。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕二〇〇頁)
 
 こうして、西暦二・三世紀、また四世紀、五世紀と時代をへるにつれて、地獄の思想は中国にも影響を与えていくわけですが、
その頃にはすでに仏教独自の伝承というわけにはいかなくなっています。
道教を基盤とする中国の宗教文化の中に、すでに仏教とバラモン・ヒンドゥー教とが
相互に影響を与えあった経典郡が流入していくのであり、さらにそこにシルクロードの商人であったソグド人たちの交通を媒介として、
ゾロアスター教、マニ教、景教(キリスト教の一派ネストル教)やらが加わり、
たがいに干渉しつつ、中国における地獄思想を形成していきます。
 
「西暦二・三世紀ごろまでに成立したとされる『マヌ法典』および『ヤージュニャ=ヴァルキヤ法典』では二十一の地獄名を挙げている。 

 *三木註ここで注目すべきは、「ラウラヴァ(叫喚)」「カ-ラ・スートラ(黒縄)」「サンガータ(衆合)」
「サンジーヴァナ(等活)」「アヴィーチ(無破浪*仏教では「無間」になる)」「アシパトラ=ヴァナ(剣葉林)」
「ターパナ(灼熱*仏教では「焦熱」になる)」」の名があること。
 
 「ヒンドゥー教の聖典『ヴィシュヌ=プラーナ』には二十一(伝本によって二十八)の地獄名が挙げられているが、
前述の法典(『マヌ法典』および『ヤージュニャ=ヴァルキヤ法典』)における記載と大差ない。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六七頁)

 「『ヤージュニャ=ヴァルキヤ法典』などに記される地獄名の多くは、例えば「剣葉林」のように
『マハーバーラタ』において記述上の修飾詞として用いられたものが固有名詞として固定したことを示している。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六八頁)
 
*以下 前節(仏教の「罪」と罰」)にすでに引用したものを再録。
 「仏典においても、すでに早くから、地獄の思想が導入されて、善因善果・悪因悪果の業報思想の中に中に包括された。
例えば、仏典の中で最も初期に成立したと考えられている『ダンマ=パダ』(法句経)第三〇六詩に
  嘘を言う人は地獄(ニラヤ)に墜ちる。また自分が実際にやっておきながら「わたし  はやらない」という人も同じである。
両者ともに行為の卑劣な者であり、死後には同  じ来世をたどるのだ。
と記され、同じく第三〇七詩に、
  多くの人々は法衣を肩にまとうていても、悪い行為をして節制がないならば、
このような人々はその悪い行為のために地獄に生まれよう。
と記されているのなど、それである。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六八頁)

「同じく最初の経典の一つである『スッタ=ニパータ』(経集)には、地獄に関する詳細な記述が見られる。
すなわち、第三篇の第十章の「コーカーリヤ」で、修行僧コーカーリヤが
ブッダの高弟のサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)の二人を中傷したことによって地獄に墜ちたという説話である。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一六九頁)

 「彼はサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)とを憎んだために、死んでから紅蓮地獄に生まれた。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一七〇頁)
 
〇『スッタ=ニパータ』(経集)第三篇・第十章の「コーカーリヤ」に記述される地獄。地獄名
1)アッブダ地獄  
  地獄の寿命   二十カーリカ(荷車一両分)の胡麻粒の数かける百年よりも長い。
2)ニラッブダ地獄   寿命  アッブダ地獄の二十倍。
3)アババ地獄     寿命  前の地獄の二十倍。
4)アハハ地獄     寿命  前の地獄の二十倍。
5)アタタ地獄     寿命  前の地獄の二十倍。
6)クムダ(黄蓮)地獄 寿命  前の地獄の二十倍。  
7)ソーガンディカ(白色の睡蓮)地獄 前の地獄の二十倍。  
8)ウッパラカ(青蓮)地獄  前の地獄の二十倍。 
9)プンダリーカ(白蓮)地獄  前の地獄の二十倍。 
10)パドゥマ(紅蓮)地獄   前の地獄の二十倍。 

 「ここでは地獄での寿命すなわち地獄で責め苦に遭う期間の長さが説かれ、十地獄の名が記されているのであるが、
地獄の描写もなく、また地獄名も最初の二つが非常に大きな数の単位による命名であり、
次の八つは苦悩の声に基づく擬声語に由来し、あとの五つは蓮の種類による命名で、
そのような命名がどのような背景をもつか、まったく不明である。
しかも、これらの名はヒンドゥー教の伝承とも関係がなく、しかも後世における仏教の地獄名にのこされているので、
仏教徒の独自の発想であることが注意される。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一七二頁)
 
*以上 前節にすでに引用したものを再録。