地蔵信仰と十王思想

 
地蔵信仰と十王思想
 

 「王は(……)「われは閻魔王、おまえの国で地蔵菩薩というのはわたしだ」と答えた。
(……)地蔵菩薩は釈尊が入滅したあとミロク仏が現れるまでのあいだ無仏の世界に出現して衆生を救済すると信ぜられたが、
地獄で苦しみを受けている衆生を救うために地獄に赴き、閻魔王になったり地獄の獄卒になったりするとされ、
ついに閻魔王は地蔵菩薩の化身であると信ぜられるに至った。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一四八頁)

 
 「地蔵尊の信仰がインドでいつごろ興ったかか、詳細は判らないが、密教の中で展開したことは明かである。
中国では隋の時代から地蔵尊の崇拝が盛んとなり、唐の高宗の麟徳元年(六六四)に地蔵尊の像を造ったという銘文があり、
また敦煌からは宋の太宗の泰平興国八年(九八一)の銘文のある地蔵十王図が発見されている。
ここに十王というのは冥土にいるという十人の王のことで、インドでは地獄の主はヤマ(閻魔)ひとりであったのが、
西域から中国に地獄信仰が拡まると冥土の王は十人とされ、閻魔王もその一人とされるに至った。
したがって、地蔵十王図は地蔵尊と地獄信仰とが結合していることを示すものである。」
         (岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一四八~一四九頁)
 
唐の冥報記・金剛般若経集験記(唐、孟献忠撰、開元六年)
  (井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕一九八頁)
 
 「冥報記は、吏部尚書唐臨が南北朝唐初の僧尼、特に居士にまつわる五十三の仏教説話を集めた本で、序に次の如く説く。
即ち世間には、自然界に因果は存在しないとする自然説、霊魂の存在を否認し死後の苦楽なども一切認めない滅尽説、
悪者の栄える現実から帰納して因果の理を認めない無報説などが横行するが、
善悪の業に必ず報のあることは儒者も説き、歴史にも例の多いことである。
ただ儒教の説くことは王道にわたり、理はもっぱら天命にかかわるので日常の話には口にしがたい。
これに反して人間幽冥の境にかかわる因果の理は仏教のみの説くところであって、
これには
(一)自身に報をうける現報、
(二)死後に地獄・餓鬼等にうまれる生報、
(三)過去に犯した業のために現世・後生にうける後報
の三種がある。
これを理法としてでなく、具体的なできごとによって説いて、将来の誡めとしたいというのである。」
  (井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕一九九頁)

 「冥報記の堕地獄の話には、(イ)もとインドのヤマに起源する地獄の死神の裁判官たる閻魔王の裁判をうけ、
又は地獄の責苦をうけ、その後故あって蘇生して、前非を悔いたり地獄の恐ろしさを人々に語る類の話(二十九・四十八・五十二)や、
(ロ)地獄で父母師友にあい、蘇生してから、かれらの霊魂を供養したり前非を改める類の話(二・十三・十六・三十三・三十四)や、
両者の混合した話などが多い」
  (井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕二〇一頁)

 「人間の霊魂が業のゆえに六道を永遠に流転するとみる古代インド民間社会の輪廻思想は、
(……)大乗仏教の発展、その中国・日本への伝播を通じて広く人心に定着した。
これが冥報記・霊異記の因果応報観の根底に横たわっていることはいうまでもない。」
  (井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕二〇一頁)