高明寺レポート
2.日本における影響と中世の起請文
2.日本における影響と中世の起請文
「わが国の古代において、日本人の宗教はきわめて淡白であったと考えられる。
かれらの祀る神は「あまつやしろ・くにつやしろのももやそがみ」と総称され、
山の神であり海の神であり、また国土の霊というべき神であった。
罪の観念についても同じで、「あまつつみ」と「くにつつみ」とがその主なもので、
それはむしろ「けがれ」とか「わざわい」とでも言うべきものであった。」
(岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一五〇~一五一頁)
「記紀の黄泉国は他民族の死者の国に比べ裁きをする冥官のいないことが特徴的とされている。」
(井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕二〇二頁)
「(霊異記に)たとえ悪果を得ても近親・縁者の功徳によって容易に悪報を解除される話のすこぶる多いことは、
祓や禊によって罪とその災気を容易にはらうことのできるとする古代日本人の思想に通ずるもので、
罪業の自覚の乏しいとせられる所であり、霊異記の世界が現世否定的・救済宗教的ではなく、
むしろ現世肯定的・呪術宗教的とみられるゆえんである。」
(井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕二〇〇頁)
「ところが、仏教が伝来すると、局面は一変した。(……)罪の観念についても、
仏教は五戒とか十悪(十不善業ともいう)という社会的罪悪を数えたてた。(……)
しかし五戒にせよ十悪にせよ倫理的ではあっても宗教的ではない。
仏教はこれにさらに五逆罪を加えて宗教的な罪悪を意識させたのであるが、(……)
こうして奈良時代の人々は仏教によって倫理的・宗教的な多くの罪を意識させられたのであって、
善因善果・悪因悪果の因果観は死後における審判の思想とからんで、人間に恐怖を与えたことと思われる。」
(岩本裕『極楽と地獄』三一書房〔一九六五年〕一五一頁)
「日本霊異記は延暦初年に一応完成した後、弘仁年間に最後的にまとまったものとみなされている。
この説話集は漢文体で書かれ、豊富な知識に満ちているから、著者の薬師寺沙門景戒は、相当に学殖のある人であった。
(……)景戒の本書執筆の動機は何か。著者は上巻の序で日本に儒書・仏典の伝来した由来を述べ、
それに貢献した仁徳・聖武両天皇や聖徳太子の徳をたたえると共に、近ごろの人は利養を専らにして善悪因果の道理を知らないことを嘆く。
そこで唐の冥報記・金剛般若経集験記(唐、孟献忠撰、開元六年)にならい、
日本における類似の奇事を書き集めて因果応報の理を知らしめたいと述べている。」
(井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕一九八頁)
この説話集は漢文体で書かれ、豊富な知識に満ちているから、著者の薬師寺沙門景戒は、相当に学殖のある人であった。
(……)景戒の本書執筆の動機は何か。著者は上巻の序で日本に儒書・仏典の伝来した由来を述べ、
それに貢献した仁徳・聖武両天皇や聖徳太子の徳をたたえると共に、近ごろの人は利養を専らにして善悪因果の道理を知らないことを嘆く。
そこで唐の冥報記・金剛般若経集験記(唐、孟献忠撰、開元六年)にならい、
日本における類似の奇事を書き集めて因果応報の理を知らしめたいと述べている。」
(井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕一九八頁)
「このような地獄や閻魔の話は平安中期以後の法華験記その他の類話の存在とあいまって、
もと日本人にはなじまなかったインド・中国的な地獄=冥土観が、この間に日本に根をおろした証拠であろう。」
(井上光貞『日本古代の国家と仏教』岩波書店〔一九七一年〕二〇一頁)
飛鳥・奈良時代以来、日本では神と仏とが習合し、「仏教の裁き」は「神仏の裁き」として変容し、展開します。
神仏の裁きとしての「神罰」や「冥罰」が、日本人の意識の中では不可分のものとして語られます。
神仏に誓いを立てる「起請文(きしょうもん)」が、日本中世において一般的であったという研究を、佐藤弘夫氏が発表しておられます。
(注 佐藤弘夫『起請文の精神史』講談社選書メチエ〔二〇〇六年〕 )
以下、その要約に多少の私言をまじえて紹介します。
「起請文」とは、「ある事柄を神仏に誓うとともに、もしそれが嘘だったら、あるいはその誓約を破ったら、
それらの神仏の罰を受けてもいいという言葉を記した文章」(注 佐藤弘夫一七~一八頁)です。
たとえば、応保(おうほう)二年(一一六二)に厳成(げんしょう)という僧が書いた「起請文」には「今後飲酒の際に、
もし一杯を越えて杯を重ねるようなことがあれば、王城鎮守(おうじょうちんじゅ)八幡三所(はちまんさんじょ)・
賀茂上下(かもかみしも)・日吉山王七社(ひえさんのうしちしゃ)・稲荷五所(いなりごしょ)・祇園天神(ぎおんてんじん)、
ことに石山観音三十八所の罰を、三日もしくは七日の内に、
厳成(この「起請文」を書いた僧の名つまり自分)の身の毛穴ごとに受けてもかまわない」とあります(注 佐藤弘夫一八頁)。
そこで勧請される神仏は、たとえば、
「日本国主天照大神(てんしょうだいじん)をはじめ、六十余州のありとあらゆる大小神祇、
なかでも大仏・四天王・八幡三所・垂迹和光の部類眷族、とくに二月堂の生身(しょうじん)観音菩薩」(佐藤弘夫 二四頁)
であったり、あるいは
「上は梵天・帝釈・四大天王よりはじめたてまつり、三界のあらゆる神祇冥道、殊に大仏八幡の冥顕境界の罰、
おのおのの身、八万四千の毛穴に罷り蒙るべきの状、請う所件(くだん)のごとし。」(「僧弁意等連署起請文案」*注 佐藤弘夫三二頁))
であったりします。
多くの神仏の名をあげて誓うその内容は、メソポタミヤをさらに西にたどったエジプトの、
神々にゆるしを請う『死者の書』を彷彿とさせます。(注 エリアーデ『世界宗教史1』一二二頁)
それは神的存在の裁きを恐れる日本人の心の起源を、遠く古代エジプトやその周辺の文明まで
遡ることの可能を再認識させると同時に、あるいはまた、時代や地域を超えた、普遍的人間性の一端を
表すものなのかもしれないことを示唆しています。
「起請文」は、すでに説明したように、これらの神仏にある事柄を誓うとともに、もしそれが嘘だったら、
あるいはその誓約を破ったら、「その神罰、冥罰を、この身に蒙っても異存はない」ということが述べられています。
製作者は、上流貴族・上層武士から僧侶・職業を問わず、地域も南九州から東北まで、当時日本と考えられていた
あらゆる領域を網羅しています。
起請文の成立については諸説あるようですが、一二世紀ごろには様式も整い、以後中世を通じて、膨大な数が作成されたということです。
「前書」とよばれる遵守すべき誓約の内容も、「今後酒は一杯だけでやめにする」とか「大事な法要を欠席したのは病気のためで、
嘘いつわりはない」とか、現代の私たちにも身近な内容で、決して特殊なものではありません。
起請文において、日本の神のなかでは天照大神が筆頭にくる場合が多いのですが、起請文全体のなかでは、そうではありません。
梵天・帝釈天以下の仏教の守護神たちは、例外なく、天照大神をはじめとする日本の神々の上位に勧請されます。
「梵天を筆頭にして、以下帝釈天・四天・日天・月天と続く配列が、起請文の神文におけるもっともポピュラーな形式だった」(三三頁)
とされるのですが、そこには、インドに由来する仏教の守護神を最上位とし、ついで閻魔王など中国の道教と習合した神々、
最下位に日本の神々という序列が見られます。
説教節「かるかや」の中に出てくる起請文は、次のようなものです。
「上に梵天・帝釈、下には四天王・閻魔法王・五道の冥官、大じんに泰山府君、
下界の地にて、伊勢は神明天照皇大神宮、外宮(げくう)が四十末社、内宮(ないくう)が八十末社、
両宮合はせ百二十末社の御神、ただ今の誓文に降ろし奉る。」(三二頁)
閻魔法王はすでに述べたように、ヴェーダのヤマが仏教に取り入れられ、道教と習合して地獄の王となった神格であり、
五道の冥官はその閻魔に仕える存在。地獄以外の五つの悪道をそれぞれが主宰します。
泰山府君は、中国の名山、東岳泰山(とうがくたいざん)が神格化されたもので、人間の寿命を司るとされます。
佐藤氏は、こうした中世のコスモロジー(宇宙観)が、権力支配の道具としての意味をもっており、いわゆる鎌倉新仏教の祖師、
とくに法然や親鸞の専修念仏が、こうした支配的コスモロジーを打ち破る意味をもったと言われています(一七九~一八〇頁)。
とくに法然や親鸞の専修念仏が、こうした支配的コスモロジーを打ち破る意味をもったと言われています(一七九~一八〇頁)。
それはそれで大事な指適であり、これについては後にも検討するつもりですが、今ここで私が明らかにしたいと思うのは、
中世日本において、(仏教以前を一応省略すれば)仏教を起源とする「裁き」の思想が、道教との習合を経て、
それがさらに日本の神々と習合して、日本人の倫理形成に大きな影響をもったという事実です。
中世の日本人にとって、神仏は「不実をはたらいた人間に対して「神罰冥罰」を下す存在」(二六頁)でした。
それが権力支配の装置としての意味をもったことも否定できませんが、単にそれだけでなく、日本の民衆の中に
「人としての道」「人としての正しい生き方やあり方」の意識なり道標なりを与えたこともまた、否定することができないと思うのです。
*注 「起請文の成立については諸説ありますが、一二世紀ごろには様式も整い、
以後中世を通じて上流貴族・上層武士から僧侶・職業を問わず膨大な数が作成されました。
それが著された地域も南九州から東北まで、当時日本と考えられていたあらゆる領域を網羅しています。」
(佐藤弘夫『起請文の精神史』講談社選書メチエ〔二〇〇六年〕一九頁)
「身分や階層や地域を超えて広く同時代人に共有されたという点において、この右に出るものは存在しません。」(佐藤弘夫 二〇頁)
*注(佐藤弘夫『起請文の精神史』講談社選書メチエ〔二〇〇六年〕)
*注(佐藤弘夫『起請文の精神史』講談社選書メチエ〔二〇〇六年〕一七~一八頁))
*注(佐藤弘夫 前掲書 一八頁)起請文にかかわる内容については、ほぼ全面的に佐藤弘夫氏の記述によっています。
*注(ミルチャ・エリアーデ『世界宗教史』〔一九七六年〕/筑摩書房〔邦訳・一九九一年〕一二一~一二二頁)