高明寺レポート
1.われ世俗に関せず、よって「仏教は裁かない」
1.われ世俗に関せず、よって「仏教は裁かない」
「仏教は裁かない」という考えが、「仏教は世間のものごと、世俗の法に対してはいっさいの価値判断をしない」という意味でいわれる場合があると思います。
その場合お坊さんは、自らの解脱(または「悟り」、または「救い」)のためだけに心を向けて、外の世界(世俗・世間)の問題には一切関心をもたない、ということになります。こういう主張の背景には、昔から仏教の中には、社会の現実から超然としているのが出家の姿だという考えがあります。なにしろ「出家」ということば自体が、そういう意味をあらわしているわけですから。古代インドにおいては、仏教にかぎらず、修行者(沙門)として出家した人は、完全に世俗の社会を出ます。
「仏教教団は初期以来、国王に近づかず、政治に参与しないという出家集団の意識が強く働いていた。」
(壬生台舜『金光明経』/大蔵出版・仏典講座13〔一九八七年〕二七~二八頁)
「古代インドの宗教者、特に釈尊のように、沙門として出家した人は完全に世俗の社会を出ます。現代の社会のように、宗教者が社会内の人間としていろいろな責任を負っているのと状況は違います。それでも、なおかつ、こうした乱れた世の中を見て、釈尊は心をいため、悲しいことだという実感をもたれたことだろうと思います。」
(奈良康明『原始仏典をよむ』NHケイこころの時代〔一九九三年〕九四~九五頁)
「仏教教団は初期以来、国王に近づかず、政治に参与しないという出家集団の意識が強く働いていた。たとえば『仏所行讃』の中に、出家した釈尊を連れ戻そうとした人々に対して「静寂を主とする解脱の法が烈しい活動を主とする王法といかに調和するであろうか」(『ブッダ・チャリタ』九、及び『仏本行集経』(正蔵第三巻七四九頁上)と答えて、初志を翻さなかったことが説かれる。」
(壬生台舜『金光明経』/大蔵出版・仏典講座13〔一九八七年〕二七~二八頁)
「また『正法念処経』(正蔵第十七巻二九四頁下)に「山家之人は、王に応ぜず、近づかず。何を以ての故に。一切世人は不供養を嫌う。彼、王に親近す。悪沙門は財物を怖望し、あるいは城、あるいは村、あるいは多人処において、常に財物を求め、厭足することを知らず。」と説かれ、さらに『妙法蓮華経』に「菩薩摩訶薩は、国王、王子、大臣、官長に親近せず。」(正蔵第九巻三七頁上)と説かれている。」
(参考*壬生台舜『金光明経』/大蔵出版・仏典講座13〔一九八七年〕二八頁)
「このようにインド初期仏教では、人民の財貨を貪り、租税の誅求による享楽に耽る国王の生活よりも、無一物にして自由な生活の方が遙かに幸福であると考えられていた。しかし現実の社会には国家の力によらねば解決できない人民の平和とか社会福祉の問題もある。従って真に一切衆生に利益をもたらし、浄仏国土・成就衆生の悲願を具現するには、具体的に政治指導の問題を取り上げざるを得ない。そこで大乗仏教では国家が完全な真理を実現すべきであるという主張の下に、国家に対する指導的意義を説くこととなった。」 (壬生台舜『金光明経』/大蔵出版・仏典講座13〔一九八七年〕二八頁)
仏教または宗教の超倫理性
「「倫理」は、(……)「人間関係」の中にあるものであるが、しかし仏教は人間関係を超える性格、人間関係を否定する性格をもっている。したがって、仏教が倫理的な性格をもっているとしても、倫理の範囲内にとどまるものでない」
(平川彭『原始仏教の倫理』/壬生台舜(みぶ・たいしゅん)編『仏教の倫理思想とその展開』大蔵出版〔昭和五〇年・一九七五年〕所収 一〇頁)
「仏陀はこのように世間に働きかけた人であるが、しかし同時に世間をそのままの形で肯定していたのではない。いわゆる「出世間」という言葉の中には、迷いの世間を否定する意味がある。したがって仏教倫理があるとしても、それは世間の道徳とは性格が同じでない」(平川彭『原始仏教の倫理』/壬生台舜(みぶ・たいしゅん)編『仏教の倫理思想とその展開』大蔵出版〔昭和五〇年・一九七五年〕所収 一四頁)
「『倶舎論』では「外道にも戒はあるが、しかしそれらは別解脱(*諸悪のそれぞれに対して、あるいは応じて解脱すること)ではない。何故なれば外道は有(輪廻の生存)に執着しているからである」と説いて、仏教倫理が世間の戒律と相違することを主張している。その理由は、世間の道徳や外道の戒律は、この輪廻の生存を肯定し、その肯定に基づいて実践せられるからであるという。」
(平川彭『原始仏教の倫理』/壬生台舜(みぶ・たいしゅん)編『仏教の倫理思想とその展開』大蔵出版〔昭和五〇年・一九七五年〕所収 二七頁)
「「別解脱」には、在家信者の戒もふくまれる(……)。すなわち「出家者の戒」だけが仏教倫理ではない。在家者の五戒や八斎戒も仏教倫理であり、その特色は「苦からの解脱」にあることが、『倶舎論』でも承認せられているのである。ともかく、「十善業道」は『倶舎論』においては、仏教倫理の中にふくまれていないのである。「業道」の語に明らかなように、十善は業の立場に立つ善であり、利己心を容認し、その立場に立ってなされる善と解釈しているのである。『倶舎論』の解釈はそのようであるが、しかし『阿含経』でも「十善業道」がまったく世間の次元だけで考えられていたかというと、必ずしもそうではないと思う。」
(平川彭『原始仏教の倫理』/壬生台舜(みぶ・たいしゅん)編『仏教の倫理思想とその展開』大蔵出版〔昭和五〇年・一九七五年〕所収 二八頁)
しかしこの、「世俗の世界に対して関心をもたないという」仏教の態度は、世間の人たちが「仏頂面」ということばで批判する態度です。自分では「悟り澄ましている」つもりなのだろうが、世間の泥沼をはいずりまわっている庶民からすれば、お高くとまった、冷たい態度です。思いやりがなく、心の温もりがなく、ひとりよがり、ということでしょう。
古くは、お釈迦さまの入滅後まもなくいろいろな部派に別れた頃の、初期仏教教団の中にも、そういう傾向が生まれたといわれます。
「小乗の徒の理想は飽くまでも、阿羅漢果によって正覚をとることにあったから、社会から隠遁し、僧院にかくれて禅定と教学の研究にいそしめばよかった。」
(石上玄一郎『輪廻と転生』人文書院〔一九七七年〕二〇七頁)
「「上座部」が阿毘達摩(論蔵)に重きをおいて、仏教教学の鬱然たる一大理論体系を築き上げたのに対し、「大衆部」は庶民の宗教として、実践倫理を生命としたことであろう。」
(石上玄一郎『輪廻と転生』人文書院〔一九七七年〕一九八頁)
「龍樹は「一切皆空」の義を『中論』『十二門論』などにおいて徹底的に明らかにした。彼はそれを「真俗二諦」の原理から説き明かしたのである。
即ち、我々が眼前にしている現象界は、経験的事実としては、その存在を否定できないが、その限りにおいて、これを肯定するのを「世俗諦」という。しかしながら諸法の実相(もろもろの存在の真の姿)は、それらが対立している現象の中にはなく、それを超えた絶対の世界になければならない。だがここで超えるというのは、現象界を超越した絶対界が別個に実在するという意味ではない。差別がそのままをさながらに空と観ずるのである。これを「真諦」あるいは「第一義諦」という。」
(石上玄一郎『輪廻と転生』人文書院〔一九七七年〕二〇六頁)
「龍樹はその鋭い論理を縦横に駆使し「否定」に「否定」を重ねることによって、「妙有」の境地に到達する。したがって世俗諦における「有我」や「生死輪廻」はいったん否定し去られるが、それはやがてそのまま肯定されるのである。」
(石上玄一郎『輪廻と転生』人文書院〔一九七七年〕二〇六頁)
「小乗」と批判される理由であった「世俗の世界に対して関心をもたない」という態度や傾向は、それを批判して生まれたはずの、大乗仏教の中にも生まれました。
大乗仏教では龍樹以来、仏教における真理を「真諦」、世間における真理を「世俗諦」と呼んで、「真諦」を「世俗諦」より高次の真理として位置づけてきました。龍樹においては、世俗諦はいったん否定された上で、ふたたび肯定されるというダイナミズムがあるのですが、それとは異なって「世俗諦」をまったく否定し、「真諦」のみを追求するのが仏教だと考える人たちも出てきたのです。
庶民の宗教として、実践的な倫理を問題にした大乗仏教が、ふたたび奥深い山中の僧院に閉じ籠もってしまった、あるいは高い山の峰から世間を見下ろしていればよい、ということになってしまいました。仏教の真理を悟ったからには、世俗のことは、それが倫理であれ、法であれ、すべて迷いである。それを迷いであると気づかせることが僧侶の正しいあり方だ、というわけです。
そのような考えの中にも、いくつかのパターンがあるように思います。