高明寺レポート
5.怨んではならない、よって「仏教は裁かない」
5.怨んではならない、よって「仏教は裁かない」
お釈迦さまの教えに「怨みに報いるに怨みをもってせず」ということばがあります。
『ダンマパダ』(漢訳『法句経』)に出てくることばですが、日本では昭和初期に友松圓諦先生がラジオ放送で行った『法句経』の講義によって、ひろく知られるようになったそうです(注 )。
『ダンマパダ』(漢訳『法句経』)に出てくることばですが、日本では昭和初期に友松圓諦先生がラジオ放送で行った『法句経』の講義によって、ひろく知られるようになったそうです(注 )。
その時の講義内容が残されておりますので、すこしだけご紹介しましょう(注 )。
「人間のこころの悩みというものは大きい問題などにはあまり胸を傷めるということが少ない。身体の上のいたみだってその通りで、胃が悪いとか、肺を病むというよりは、なにか、ちょうど、小さい刺が手にささった時とか、もしくは、小指に怪我をした時とか、こんな小さい、いたみどころの方がいつも身体を深く傷めることであります。「怨み」などと、軽く扱いたがる人があるなら、それは、刺のささった時の痛みを知らぬ人です。「怨み」と言いますものは、いわば、ちょうど人間の心臓につきささった刺のようなものです。それだけに痛みが非常に内面的で、外にはあまり出なく、したがって人にはさほどに感じられなくとも自分には非常に疼き痛むのです。この痛みのために人は煩悶し、時には一生を紙屑のようにしてしまう人があります。」
「このうらみという心の病気は、風邪のように誰でもどの家庭も、経験をもっています。(……)怨みというものは素直におもてを見て行かないで、うらを、うらをと見て行くことなんでしょう。(……)刺を抜こうとすればかえって中に入ってしまうように、怨みというものも、この怨みをなんとしようと思って悶えても、あせり、いらだっても、なかなかその怨みというものは心の底深く残る。なんとすることもできない。これは「まことに、他人をうらむ心をもってしては、どうしても、そのうらみを解くことはできない。」とこの『法句経』で釈尊がいわれた言葉の通りです。」
「原典を読みますと、そこにはもっとつよく、このうらみに対して、うらみの心をもってとこうとしたところで、「いかなる術もない」と書いてあります。どんなことをしたってその苦悩、怨みというものを持っている間は駄目だ。(……)怨みはそのものの根本的な反省がない間は駄目だ。(……)その答えこそ釈尊が「ただうらみなき心によってのみ、うらみを解くことができる」といい放たれたものです。ほんとうにそうだと思います。「うらみなき心」この心がなければ、自分のこの怨みを解決することはできない。」
「怨みというものがお蔭になって、恩寵に変わって来るところ、それを仏教では怨親平等(おんしんびょうどう)、怨みも親しみも真実は一如だ、不二の世界だと教えていますが、この境地になって来なければいけない。怨みの刃をうちこんでくるのを、この温かい不二の心に、やんわりとうけとめる、そしてむしろこの毒矢を感謝と緊張のよすがとする。釈尊の心境はおそらくこうしたものであったのでしょう。」
(注 奈良康明『原始仏典をよむ(上)』NHケイこころの時代〔一九九三年〕NHケイ出版 一〇六頁 参照)
(注 友松圓諦「法句経講義」抄/『まことの生活』<現代を生きる心>筑摩書房〔一九七二年〕所収一五五~一七一頁)
もちろんこうした友松先生の言葉がまちがっているわけではありません。これはこれで、人間性を円満な完成に導く、仏教の尊い教えにちがいありません。
問題は、それをまちがって受け止めてしまうこと、つまり、していい事と、してはいけない事の区別をつけずに、すべてを「怨まずにゆるしましょう」と言ってすましてしまうことです。たとえば、人種差別や部落差別など諸々の差別やいじめ、食品偽装や耐震偽装、脱税や汚職、振り込め詐欺や霊感(詐欺まがい)商法、万引や恐かつ、偽札づくりや拳銃・覚醒剤の密輸などなど、「してはいけない事」「ゆるしてはいけない事」は、はっきりさせなければいけないし、子供に対してはそれを教えたり叱ったりしなければなりません。子供に対してそれを教えたり叱ったりすることなく、ただ「ゆるしましょう」では、大人としての責任放棄ですし、社会においては、社会的公正や社会正義を実現すべき「社会人」としての、責任放棄です。
また、どういう場合には「ゆるす」ことができ、どういう条件で「ゆるし」が成り立つのかも、はっきりさせなければいけません。「許可」の意味のゆるしと、「赦免」の意味のゆるしも混同されがちです。こうした問題をすべて棚あげにして、すべてを個人的な煩悩としての「怨み」の次元で考えてしまうところに、間違いが生まれます。
個人的な「怨みと赦免」で解消できる次元の問題と、社会的な次元での「公正・正義・法」またそれに準拠する「許可・不許可」と「制裁・赦免」の問題を、混同してはいけないのです。