高明寺レポート
親鸞聖人の往生観
親鸞聖人の往生観
序
親鸞聖人の往生観は、『教行信証』や晩年の『かな聖教』などにおいて、厳密な論として立てられている場合には、ほぼ明確に「現生往生」説といえる。「ほぼ明確に」というのは、一部に、両義的解釈の余地を残す文もあるからだが、全体として言えばかなり明確な表現がなされている。
しかし一方で、『御消息集』などのお手紙類や、御和讃には、死後の往生を認めておられるような表現も見受けられる。また『歎異抄』に記述される聖人のお言葉の中にも、「死後(後生)往生」をゆるすかのような表現が散見される。
このノートの目的は、以上の観点から、親鸞聖人御自作の聖教類、お手紙類、『歎異抄』に記録されている「師訓篇」の中から、できるだけ忠実に親鸞聖人の往生観を示す文を抜き出すことにある。
しかし一方で、『御消息集』などのお手紙類や、御和讃には、死後の往生を認めておられるような表現も見受けられる。また『歎異抄』に記述される聖人のお言葉の中にも、「死後(後生)往生」をゆるすかのような表現が散見される。
このノートの目的は、以上の観点から、親鸞聖人御自作の聖教類、お手紙類、『歎異抄』に記録されている「師訓篇」の中から、できるだけ忠実に親鸞聖人の往生観を示す文を抜き出すことにある。
一、「現生往生」を説く文
「即得往生」について
『唯信鈔文意』
「『大経』には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまえり。「願生彼国」は、かのくににうまれんとねがえとなり。「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという。すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。不退転に住すというは、すなわち正定聚のくらいにさだまるとのたまう御みりなり。これを「即得往生」とはもうすなり。「即」は、すなわちという。すなわちというは、ときをへず、日をへだてぬをいうなり。」 (『真宗聖典』東本願寺・五四九~五五〇頁)
親鸞聖人はここで、「「即」は、すなわちという。すなわちというは、ときをへず、日をへだてぬをいうなり」とはっきり示されています。お西の教学で「即」にも「やがて」という意味の「異時即」があるといい、『大経』のこの「即」は異時即だという解釈があるのですが、それは誤りであることが、この文によって明白に知られるのです。
『一念多念文意』
「「即得往生」というは、「即」は、すなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。「得」は、うべきことをえたりという。真実信心をうれば、すなわち、無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。「摂」は、おさめたまう、「取」は、むかえとると、もうすなり。おさめとりたまうとき、すなわち、とき・日をもへだてず、正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり。」
(『一念多念文意』『真宗聖典』東本願寺・五三五頁)
(『一念多念文意』『真宗聖典』東本願寺・五三五頁)
「この二尊の御のりをみたてまつるに、すなわち往生すとのたまえるは、正定聚のくらいにさだまるを、不退転に住すとはのたまえるなり。このくらいにさだまりぬれば、かならず無上大涅槃にいたるべき身となるがゆえに、等正覚をなるともとき、阿毘抜致(あびばっち)にいたるとも、阿惟越致(あゆいおっち)にいたるとも、ときたまう。即時入必定とももうすなり。この真実信楽は、他力横超の金剛心なり。」
(『一念多念文意』『真宗聖典』東本願寺・五三六頁)
「「即」は、すなわちという。
(『一念多念文意』『真宗聖典』東本願寺・五四四頁)
西本願寺教学における「即得往生」の理解
異時即を言うお西の教学については、次のような資料があります。
(一)「本願寺派 龍谷大学講師(岐阜教育大学教授)の山田行雄氏を講師とする聖典学習会「教行信証の会」が、(中略)行われ、三十人余りが参加した。同会は僧侶を胎生とした学習会で、毎月一回開かれ、既に十回を越えたが、「きっちりして、なおかつ判り易い講義」と評判。山田氏は『真宗聖教全書』をテキストにして、重要な部分では一つ一つ出典個所を受講者に確認させながら講義を進めている。
今回は「行一念釈」の講義のほか、宗門が記述に問題があるとして岩波書店に申し入れをした『岩波仏教辞典』の問題箇所についても取り上げた問題の記述は、同辞典の親鸞の項目中の「他力信心による現世での往生を説き……」の部分で、いわゆる「即得往生」の問題。
講師の山田氏は、「即」の字義について、「同時即」と「異時即」の区別があると紹介し、「往生即成仏」の場合の「即」は「同時即」、大経の本願成就文の「即得往生」は「異時即」であるとした。
「このように経文では、即得往生が異時即で語られているが、宗祖は同時即で解釈されようとしたところに、このような即得往生の意味の混乱がある」とし、「真宗においては、基本的には往生ということを『彼土往生』とする。つまり往生即成仏ということである。正定聚が現世であるとしたところに親鸞聖人の教学の特色があるが、聖人が往生を現世で語るのは、自力がすたって他力に帰す、という信一念において前後を分かつ場合のみであり、信益同時をあらわすのであって、この世で往生するといわれているのではない。」と説明した。」(『中外日報』平成二年十月十日「広島・本願寺派」の欄の記事)
*中村元『極楽浄土にいつ生まれるのか?』『岩波仏教辞典』に対する西本願寺派からの訂正申し入れをめぐっての論争(『東邦』誌 バックナンバー不明)二一〇頁からの引用。
山田氏は、宗祖が「即得往生」を同時即で解釈したことは認めながらも、大経の本願成就文の「即得往生」はほんとうは「異時即」であって、「同時即」で理解した宗祖の解釈がまちがっているのだ、というわけです。
宗祖の解釈を批判し乗り越えて、あらたな真宗教学をつくりだすという試みは一概に否定されるべきではありませんが、宗祖ご自身が「即得往生」を「同時即」で解釈されていること。また「即」の字について「同時即」と「異時即」の二義があるとは仰せられていないように思います。
宗祖の解釈を批判し乗り越えて、あらたな真宗教学をつくりだすという試みは一概に否定されるべきではありませんが、宗祖ご自身が「即得往生」を「同時即」で解釈されていること。また「即」の字について「同時即」と「異時即」の二義があるとは仰せられていないように思います。
『愚禿鈔』(一)
「本願を信受するは、前念命終なり。〔「すなわち正定聚の数に入る」(論註)文。「即の時必定に入る」(十住論)文。「また必定の菩薩と名づくるなり」(十住論意)文。
即得往生は、後念即生なり。
他力金剛心なり、知るべし。 」
(『愚禿鈔』(上)『真宗聖典』東本願寺・430頁)
難思議往生すなわち真の報土
また二種の往生あり。
一は即往生、二は便往生なり。
ひそかに『観経』の三心(さんじん)往生を案ずれば、これすなわち諸機自力各別の三心(さんじん)なり、『大経』の三信に帰せしめんがためなり、諸機を勧誘して三信に通入せしめんと欲うなり。
三信とは、これすなわち金剛の真心・不可思議の信海なり。
また即往生とは、これすなわち難思議往生、真の報土なり。
便往生とは、すなわちこれ諸機各別の業因果成(ごういんかじょう)の土なり。
胎宮・辺地・懈慢界、双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべしと。
(『愚禿鈔』(下)『真宗聖典』東本願寺・458頁)
『入出二門偈』(一)
「往生」は動的な道
「菩薩は五種の門を入出して、自利利他の行、成就したまえり。不可思議兆歳劫に、漸次(ぜんじ)に五種の門を成就したまえり。」
(『入出二門偈』『真宗聖典』東本願寺・四六一頁)
礼拝門
「何等をか名づけて五念門とすると。礼(らい)と讃と作願(さがん)と観察と回(え)となり。いかんが礼拝する、身業に礼したまいき。阿弥陀仏正遍知、もろもろの群生を善巧方便して、安楽国に生ぜん意(こころ)をなさしめたまうがゆえなり。すなわちこれを第一門に入ると名づく、またこれを名づけて近門(ごんもん)に入るとす。」
浄土への道、すなわち往生の道において、まず入るべき門が「礼拝」です。菩薩の礼拝行を、この身にたまわる。
その後に出てくる第五門のところで、聖人はこう言われています。
「かの土に生じ已(おわ)りて速疾に、奢摩他(しゃまた)・毘婆舎那(びばしゃな) 巧方便力(ぎょうほうべんりき)成就を得已りて、生死園(しょうじおん)煩悩林(ぼんのうりん)に入りて、応化身(おうけしん)を示し神通(じんずう)に遊びて、教化地(きょうけじ)に至りて群生(ぐんじょう)を利したまう。」
(『入出二門偈』『真宗聖典』東本願寺・四六一頁)
「かの土に生じ已(おわ)りて」という言葉から、「往生」ということが固定的・静止的に考えられているのでなく、「往生していく」という動的な道として了解しておられることがうかがわれます。そうすると、「往生した」ということは実は「往生の道が始まった」ということなのでしょう。
『入出二門偈』(二)
「往生」の始まり
その往生の道が始まるのが、礼拝の成就。
『燃灯仏授記』というジャータカ(仏の前生譚)に出てくる、如来に身を投げだすメーガの心。信心決定ということでしょう。
それゆえに、必定の菩薩といわれる。
つまり、私たちは「来たれ、生まれよ」という呼び声を聞いて、その声を信じる。その声に身をまかせる。その時に「即得往生」。往生を得たといっていい。しかしそれは「往生の道が始まった」ということ。「往生の道が始まった」ということは、すでに浄土に生まれたということ。浄土に生まれたが故に、そこから終わりのない往生の道が始まるんでしょう。
それを親鸞聖人は、「信心をえたる人はかならず正定聚の位に住する」(『御消息集(善性本)〔5〕正嘉元年丁巳(ひのとみ)十月十日 性信御房への手紙/『真宗聖典』東本願寺・五九一頁)といわれるのでしょう。
ですから正定聚というのは、「必ず仏と成る人」のことです。
必ず大涅槃を証する人。必至滅度の人のことです。
やがていつか浄土に生まれるんじゃなく、現在只今、浄土に生まれたが故に、必定の菩薩となって、往生の道を歩み始める。必至滅度の往生の道を歩み始める人となるんです。
必定の菩薩
また「西岸上に人ありて喚ぼうて言わく汝一心正念にして直ちに来たれ、我よく護らん」というは、
「西岸上に人ありて喚ぼうて言わく」というは、阿弥陀如来の誓願なり。
「汝」の言は行者なり、これすなわち必定の菩薩と名づく、龍樹大士(りゅうじゅ・だいじ)の『十住毘婆沙論』に曰く「即時入必定」となり。曇鸞菩薩(どんらん・ぼさつ)の『論』には「入正定聚之数」と曰(い)えり。善導和尚(ぜんどう・かしょう)は「希有人なり・最勝人なり・妙好人なり・好人なり・上上人なり」・「真の仏弟子なり」と言えり。
(『愚禿鈔』(下)『真宗聖典』東本願寺・四五五頁)
(『愚禿鈔』(下)『真宗聖典』東本願寺・四五五頁)
必定の菩薩が、すなわち正定聚ともいわれる。
生死即ち大涅槃
「ここをもって諸仏、浄土を勧めたまえり。たとい一生悪を造る者、三心相応せんは、これ一心なり。一心は淳心なれば如実と名づく。もし生まれずは、この処(ことわり)なけん。必ず安楽国に往生を得れば、生死すなわちこれ大涅槃なり、すなわち易行道なり、他力と名づくとのたまえり。」
(『入出二門偈』『真宗聖典』東本願寺・四六五頁)
現にある生死を我が場処として頂戴するとき、生死を超える。横ざまに迷いの四つの流れを断ち切る。それを「横超断四流」というのでしょう。ということは、親鸞聖人は現生に大涅槃を超証されたということでしょう。生死をおそれとしない世界、それが安楽国だと聖人は言われるのです。安楽国に生まれたら、もはや生死は恐れではない。この生死の場処こそ、わが世界であり、わが命である。その徹底的な自覚を大涅槃といわれるのでしょう。「生死即大涅槃」です。
『正信偈』では、曇鸞大師のところに、次のようにうたわれています。
惑染凡夫信心発 證知生死即涅槃
必至無量光明土 諸有衆生皆普化
惑染の凡夫であるわれわれであっても、真実の信心が発起されるならば、生死即ち涅槃と證知して、やがて必ず無量光明土に至って、諸有の衆生を皆、普く教化することができるのだ。「生死をおそれとしない世界」それは現生にたまわるから意味があるのでしょう。それを来生にたまわっても、現生は恐れのままになってしまう。それでは救われない。
「光明寺の和尚(かしょう)の『般舟讃』には、「信心の人はその心すでに浄土に居す」と釈し給えり。居すというは、浄土に、信心のこころ、つねにいたりというこころなり」 (『御消息集(善性本)』〔五〕『真宗聖典』東本願寺・五九一頁)
「救い」とはまず、死を恐れない心の成就
●死んだら極楽に行けるから「死」を恐れない。真実報土の心とはかぎらない。そう言えるか言えぬか微妙だろう。ただし真実報土への入口になる。
法然上人は、それでよしとした。凡夫においてはそれでよし、われらはみな凡夫というのが法然上人。まさしく凡夫のこころであって、それを頭から否定されたら凡夫はすくわれない。だからそれ自体を否定するのではない。そこに止まることを注意する。
生死と別のところに涅槃を求める。浄土であっても入口。第一願。
しかし入口は大事。だれも入口なしには入れない。
しかし入口は大事。だれも入口なしには入れない。
●死んでどこへ行こうと生死を恐れない。 真実報土
無住処涅槃のことでしょう。それを親鸞聖人は、真実報土と言っておられる。
「(善導大師は)安楽国に到れば必ず自然(じねん)に、すなわち法性の常楽を証すとのたまえり。」
(『入出二門偈』『真宗聖典』東本願寺・四六五頁)
たとえ、地獄を恐れる心であっても、浄土に生まれれば必ず自然(じねん)に、仏の安らぎを得るのだという。
「即得往生」と真実報土
親鸞聖人のお言葉のなかで、真実信心による「即得往生」と、真実報土の往生とが、微妙に同一でない。時に同じ意味でつかわれていたり、時に微妙にちがう意味で使われていたりする。
親鸞聖人が「真実報土」といわれる時、そこにふたつの使い方があるように思われる。
一つは仏果をあらわす言葉であって、そのまま無住処涅槃をあらわすような意味で、「真実報土の往生」といわれる場合。『三経往生文類』のお言葉など。
一つは信心決定して、正定聚の位を得た、いわば菩薩の初地についたことを表す場合。これは「大経往生」を聖人は「真実報土の往生」といわれているが、『大経』の本願成就文にある「即得往生」は、正定聚の位を得ることと示されている。
自力ではない他力の信心がさだまって、菩薩初地の位につく。そこに現生正定聚、住不退転といわれる世界が開かれる。そのとき始めて浄土に生まれる。浄土とは仏道を歩める世界。はじめて仏道を歩める世界に生まれた。それが「即得往生」。それは真実の浄土に生まれたことであると同時に、実はさらに真実の浄土へ生まれていく道が開かれたということである。このようにいただけば、往生とは、真実報土に生まれて、そこからさらにかぎりなく真実報土に生まれて往くことと頂戴できるのではないか。
観経往生・弥陀経往生
「これ他力の中に自力を宗致としたまえり。このゆえに観経往生ともうすは、これみな方便化土の往生なり。これを双樹林下往生ともうすなり。」
(『三経往生文類』『真宗聖典』東本願寺・四七一頁)
双樹林下往生とは、自分がお釈迦様になったかのように勘違いしている者が望む往生をいうのではないか?西行法師のことなどが親鸞聖人の頭にあったか?
親鸞聖人において、方便化土の往生とは、かならず「自力」を旨とする姿勢を指す。
「弥陀経往生というは、(…)定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず、如来の尊号をおのれが善根として、みずから浄土に回向して、果遂の誓いをたのむ。(…)そのつみ、ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあいだ、自在なることあたわず、三宝をみたてまつらず、つかえたてまつることなしと、如来はときたまえり。しかれども、如来の尊号を憶念するゆえに、胎宮にとどまる。徳号によるがゆえに、難思往生ともうすなり。不可思議の誓願、疑惑するつみによりて、難思議往生とはもうさずとしるべきなり。」
(『三経往生文類』『真宗聖典』東本願寺・四七三~四頁)
「来迎」「臨終」を待つこと
「来迎」を待つこと、「臨終」を待つことは、信心が決定していないということを示している。したがって、親鸞聖人が化土といわれるのは、仏智を疑う者、如来の本願力を信じきれない心に応じて現れる世界のことでしょう。雑修の者は、ほんとうの浄土(報土)には生まれることができず懈慢界に生まれてしまう。というのは、生まれる者の心が懈慢にとらわれているからでしょう。
「御同行の、臨終を期(ご)してとおほせられさふらふらんは、ちからおよばぬことなり。信心まことにならせたまひてさふらふひとは、誓願の利益にてさふらふうへに、摂取してすてずとさふらへば、来迎・臨終を期(ご)させたまふべからずとこそおぼえさふらへ。いまだ信心さだまらざらんひとは、臨終をも期し来迎をもまたせたまふべし。」
『真蹟書簡』〔第十八書簡〕
(増谷文雄『親鸞集』日本の思想3・筑摩書房/二八三頁)
(『末燈鈔』〔十八〕『真宗聖典』東本願寺・六〇八頁と同じ手紙)
「臨終のときにあらず、かかる尋常のときにつねに摂護してすてたまわざれば、摂得往生」ともうすなり。」(552頁)
「即は「つく」という。そのくらいにさだまりつくということばなり。」(535頁)
「即はすなわちという、(……)即生という。また即はつくという。」(544頁)
「横超断四流」について
『教行信証』〔信の巻〕(240頁)
「現生十種の益」の四、〔諸仏護念の益〕に「横に五趣、八難の道を超え」とある。
これは「正定聚・不退転の益」を意味しているだろうが、そのまま「往生の益」でもあろう。
『末燈鈔』の文
「臨終ということは、諸行往生のひとにいうべき」(600頁)
「臨終ということは、諸行往生のひとにいうべき」(600頁)
「来迎」について
聖典548頁
「来迎ということを、親鸞聖人は、信心の行者を無量の諸仏が護ってくださる利益として理解しようとされている。」
(小野蓮明師「神奈川ブロック聖典学習会」ノート〔唯信鈔文意〕2006.4.14 )
聖典549頁
「伝統的には、命終わるとき、仏がお迎えに来てくださるという意味。しかし親鸞聖人は、現生正定聚の位に住することだ、積極的にとらえようとしている。」
(小野蓮明師「神奈川ブロック聖典学習会」ノート〔唯信鈔文意〕2006.4.14 )
「「来」「諸仏諸菩薩が念仏者の所に来ること」という一般の理解を、「行者をして、浄土に来たらしめること」だと、それは「若不生者」の誓いと読み取っている。」 (小野蓮明師「神奈川ブロック聖典学習会」ノート〔唯信鈔文意〕2006.4.14 )
聖典549頁
「きたる浄土に来らしむ。「若不生者」の誓い」
「かえる法性のみやこにかえる」
二、両義的解釈の余地を残す文
●「三経往生文類」
「大経往生というは、如来選択の本願、不可思議の願海、これを他力ともうすなり。これすなわち念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定聚のくらいに住して、かならず真実報土にいたる。これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆえに、無上涅槃のさとりをひらく。これを『大経』の宗致とす。このゆえに大経往生ともうす。また難思議往生ともうすなり。」(真宗聖典・四六八頁)
これは『大経往生』あるいは『難思議往生』についての、親鸞聖人ご自身の定義といってもいい文であるが、ここに
「現生に正定聚のくらいに住して、かならず真実報土にいたる」
と表されている。とすると、「正定聚のくらいに住すること」と「真実報土に生まれること」との間には時間の前後があることになり、「正定聚のくらいに住すること」イコール「真実報土に生まれること」ではないことになる。
ここで親鸞聖人は、「真実報土」を仏果と同じ意味でとらえておられるようにも思われる。そうだとすれば、やがて「真実報土にいたる」ことは、やがて「仏に成る」ことと同じであるから、まさしく「正定聚」の本来の意味として、現生に「やがて仏に成ることが定まった者」となり、それは即ち「やがてかならず真実報土にいたる者」となることである。
「これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆえに、無上涅槃のさとりをひらく」
という次の文を見れば、「真実報土にいたること」即ち「無上涅槃のさとりをひらくこと」という了解がうかがわれるのであり、したがって「真実報土」即ち「仏果」といって誤りではないだろう。
ところが、この「真実報土にいたること」イコール「往生」として理解すると、解釈はまったく違ったものになってしまうのである。
つまりこの場合には、「正定聚のくらいに住すること」と「往生を得ること」との間には時間的へだたりがあることになり、「現生正定聚」イコール「即得往生」という理解は成り立たなくなってしまう。現生に正定聚に住してもまだ往生は得られないのであれば、往生は未来である。未来には現生の未来もあるが、わかりやすいのは、現生は正定聚の位につくだけであり、往生するのは未来の死後であるという解釈である。これが西本願寺の教学である。
「真実報土にいたること」を即ち「往生」として理解するならば、西本願寺の教学にも根拠があるといわねばならない。
解釈の可能性だけをいうならば、「未来」を死後に限る必要はないのであり、現生であろうと死後であろうと、とにかく未来に往生を得るのだということもできる。
現生であるか死後であるかは問わないが、「正定聚のくらい」に住した後に、未来のいつか「往生」するのだという解釈である。これには「正定聚のくらいに住すること」の中にも段階があって、たとえば『十地経』に説かれる菩薩の初地から八地ないし等覚までの位があって、そのなかのどこかの位についた時に「往生」を得るのだ、という風に言えば不可能ではない。しかしそういうことを示した文が、親鸞聖人のお言葉のなかに皆無である以上、この解釈は無理とする他にない。
したがって、もっとも端的にいうならば、「真実報土にいたること」と「往生すること」とは違うのだ、ということである。
このことさえハッキリすれば、親鸞聖人のお言葉に矛盾はないのである。われわれはどこか「真実報土にいたること」を「往生すること」とまったく同一の意味にとらえてきたのではないだろうか?少なくとも私自身は、その点について疑問をいだいたことがなかったのである。それを今、この文には両義的解釈の余地があると感じて確かめてみて初めて、親鸞聖人の「往生」の使い方に二義あるのではないか、という考えにいたっている。「即得往生」の往生と「真実報土にいたる往生」の二義である。
親鸞聖人は、それまでの浄土教の歴史全体を、化土としてとらえておられるのではないだろうか。大胆な言い方をすれば、法然上人の教えをふくめた、それまでの浄土教の歴史全体をである。
親鸞が、天親と曇鸞の二人の名を自らの名とした意味は、天親と曇鸞の教学を両ながら受け継ぐ志の名告りであろうが、曇鸞でいえば、それは龍樹の系統であり空の教学である。したがって曇鸞においては往生といっても「無生の生」であって、そこには死後の往生ということは問題にならない。
一方、天親をいえば彼は瑜伽の教学者であって、瑜伽は業縁存在の分析であるから、したがってこの場合には生死の業縁ということは大きな問題になるのである。
「真実報土」は「無量光明土」であって、阿弥陀仏の極楽国土ではない。
と言えば誤解が生ずるだろうが、言わんとする意味は、「真実報土」へ導く方便化土として浄土教の歴史の中で語られてきた「極楽国土」とはまったく同一ではない、という意味である。
それはまったく違うというわけにもいかないのだろう。少なくとも浄土教の歴史の中では、死後の往生こそが正当であって、現生の往生などは、親鸞聖人以前には言われたことがないのである。
いや、曇鸞によれば曇鸞にはそういう理解があったかも知れない。それをハッキリさせたいという願いが、曇鸞の「鸞」の一字を名告ることに示されているのだと思う。それが、浄土教の歴史としての方便化土と、真実報土とを明確に区別することとして、親鸞聖人の『教行信証』において成就したのだとは、言えないだろうか。
と言えば誤解が生ずるだろうが、言わんとする意味は、「真実報土」へ導く方便化土として浄土教の歴史の中で語られてきた「極楽国土」とはまったく同一ではない、という意味である。
それはまったく違うというわけにもいかないのだろう。少なくとも浄土教の歴史の中では、死後の往生こそが正当であって、現生の往生などは、親鸞聖人以前には言われたことがないのである。
いや、曇鸞によれば曇鸞にはそういう理解があったかも知れない。それをハッキリさせたいという願いが、曇鸞の「鸞」の一字を名告ることに示されているのだと思う。それが、浄土教の歴史としての方便化土と、真実報土とを明確に区別することとして、親鸞聖人の『教行信証』において成就したのだとは、言えないだろうか。
「往生」の意義は、正定聚のくらいを得ることである。言い換えれば、必至滅度の位である。仏道において不退転となり、必ず滅度にいたる人生をたまわることである。したがって、死後に期待された方便化土としての「極楽往生」は、不退転が決まりさえすれば、もはや期待する必要がないのである。
では親鸞聖人は、方便化土はまったく捨てたのかというと、そうではないのである。方便化土には方便化土の大事な意味があり、それはただ捨てるべき世界ではない。通る世界なのだろう。そこを通って、通った後には捨ててもよい、という世界なのだろう。
課題が出来た。「真実報土」と「方便化土」の問題。そしてそこに名告られる天親の「親」の意義である。それは瑜伽の教学に問うことであり、言い換えれば、業縁存在の問題を問うことであろう。その問題を、自分への課題としていきたい。
2006.5.2
「死後往生」をゆるすかに見える文(一)
『御和讃』の文
「高僧和讃」〔曇鸞章〕
「高僧和讃」〔曇鸞章〕
六十有七ときいたり 浄土の往生とげたまう
そのとき霊瑞不思議にて 一切道俗帰敬しき
(『高僧和讃』曇鸞和尚〔九〕『真宗聖典』東本願寺 四九二頁)
そのとき霊瑞不思議にて 一切道俗帰敬しき
(『高僧和讃』曇鸞和尚〔九〕『真宗聖典』東本願寺 四九二頁)
「高僧和讃」〔源信章〕
源信和尚(かしょう)ののたまわく われこれ故仏とあらわれて
化縁すでにつきぬれば 本土にかえるとしめしけり
(『『高僧和讃』源信大師〔一〕 四九七頁)
報の浄土の往生は おおからずとぞあらわせる
化土にうまるる衆生をば すくなからずとおしえたり
(『『高僧和讃』源信大師〔六〕 四九七頁)
化縁すでにつきぬれば 本土にかえるとしめしけり
(『『高僧和讃』源信大師〔一〕 四九七頁)
報の浄土の往生は おおからずとぞあらわせる
化土にうまるる衆生をば すくなからずとおしえたり
(『『高僧和讃』源信大師〔六〕 四九七頁)
「高僧和讃」〔源空章〕
阿弥陀如来化してこそ 本師源空としめしけれ
化縁すでにつきぬれば 浄土にかえりたまいにき
(『高僧和讃』源空聖人〔十七〕 四九九頁)
化縁すでにつきぬれば 浄土にかえりたまいにき
(『高僧和讃』源空聖人〔十七〕 四九九頁)
本師源空命終時 建暦(けんりゃく)第二(だいに)壬申歳(にんしんさい)
初春(そしゅん)下旬第五日 浄土に還帰せしめけり
(『高僧和讃』源空聖人〔二十〕 四九九頁)
初春(そしゅん)下旬第五日 浄土に還帰せしめけり
(『高僧和讃』源空聖人〔二十〕 四九九頁)
親鸞聖人は、曇鸞、源信、法然、いずれも真実報土に帰られた祖師としてあおいでおられる。ということは、死後に往生することを、そのまま化土に生まれることと仰っているわけではない、ということになる。だから、たんに死後往生か、現生往生かということだけで、報土往生と化土往生の別は立てられないということになる。
『書簡』の文(一)
『末燈鈔』
「この身は、いまは、としきはまりてさふらへば、さだめてさきだちて往生しさふらはんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせさふらふべし。」
(『末燈鈔』〔十二〕『真宗聖典』東本願寺 六〇七頁)
『御消息集(広本)』
「明法の御坊の往生のこと、おどろきもうすべきにはあらねども、かえすがえすうれしうそうろう。(……)またひらつかの入道殿の御往生とききそうろうこそ、かえすがえす、もうすにかぎりなくおぼえそうらえ。」
(『親鸞聖人御消息集(広本)〔一〕『真宗聖典』東本願寺 五六〇頁)
「明法の御坊の、往生の本意とげておわしましそうろうこそ、常陸の国中(くにうち)のこれにこころざしおわしますひとびとの御ために、めでたきことにてそうらえ。」
(『親鸞聖人ご消息集(広本)〔三〕『真宗聖典』東本願寺 五六三頁)
●もと山伏弁円は、親鸞聖人に帰依して明法坊(房)という。建長二年、六十八歳で寂したという。(『真宗辞典』)このお手紙は建長四年(親鸞七十九歳)の(一)の手紙とほぼ同時期であろうから、明法坊の往生とは、建長二年の死去を指すとみてよい。
『御消息拾遺』
「かくしんぼう(覚信房)ふる(経る)としごろは、かならずかならずさきだちてまたせ給候覧(たまひさふらふらん)、かならずかならずまゐりあふべく候へば申すにおよばず候。かくねんぼう(覚然房)のおほせられて候やう、すこしも愚老にかはらずおはしまし候へば、かならずかならず一(ひとつ)ところへまゐりあふべく候。」
(『御消息拾遺』〔二〕『真宗聖典』東本願寺 六一〇頁)
「かくしんぼう(覚信房)ふる(経る)としごろは、かならずかならずさきだちてまたせ給候覧(たまひさふらふらん)、かならずかならずまゐりあふべく候へば申すにおよばず候。かくねんぼう(覚然房)のおほせられて候やう、すこしも愚老にかはらずおはしまし候へば、かならずかならず一(ひとつ)ところへまゐりあふべく候。」
(『御消息拾遺』〔二〕『真宗聖典』東本願寺 六一〇頁)
「死後(後生)往生」をゆるすかに見える文(三)
『書簡』の文(二)
『真蹟書簡』
「親鸞の書簡は、現に存する真蹟の書簡をはじめとして、はやくから編集され伝持された『末燈鈔』や『親鸞聖人御消息集』や『御消息集』(善性本)や『血脈文集』に収録されているものなど、その重複するものを除いて数えてみると、四十二通もしくは四十三通におよぶ。それらは、すべて、親鸞が関東を去って京都に隠棲していた時代のもの、その年齢でいえば、建長三年(一二五一)より文応元年(一二六〇)にいたる間のものである。」 (増谷文雄『親鸞集』日本の思想3・筑摩書房/二二八頁)
〔第一書簡・かさまの念仏者のうたがいとわれたる事〕
自力・他力
「それ浄土真宗のこころは、往生の根機に他力あり、自力あり。このことすでに天竺の論家(ろんげ)・浄土の祖師のおほせられたることなり。
まず自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがひて、余の仏号を称念し余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからひのこころをもて、身口意のみだれごころをつくろい、めでたうしなして浄土へ往生せむとおもふを自力と申すなり。また他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、選択摂取(せんじゃくせっしゅ)したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。(中略)」
自力・他力
「それ浄土真宗のこころは、往生の根機に他力あり、自力あり。このことすでに天竺の論家(ろんげ)・浄土の祖師のおほせられたることなり。
まず自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがひて、余の仏号を称念し余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからひのこころをもて、身口意のみだれごころをつくろい、めでたうしなして浄土へ往生せむとおもふを自力と申すなり。また他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、選択摂取(せんじゃくせっしゅ)したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。(中略)」
わがこころよければと思うべからず
「しかれば、わがみのわるければ、いかでか如来むかへたまはむとおもふべからず。凡夫はもとより煩悩具足したるゆへに、わるきものとおもふべし。またわがこころよければ往生すべし、とおもふべからず。自力の御はからひにては真実の報土へむまるべからざるなり。行者のおのおのの自力の信にては、懈慢・辺地の往生、胎生・疑城の往生までぞ、往生せらるることにてあるべきとぞ、うけたまわりたりし。(中略」」
(増谷文雄『親鸞集』日本の思想3・筑摩書房/二三〇~二三一頁)
「死後(後生)往生」をゆるすかに見える文(四)
『書簡』の文(三)
『真蹟書簡』
〔第一書簡・つづき〕
信心によって摂取される
「真実の信心をえたる人は、摂取のひかりにおさめとられまいらせたり、とたしかにあらわせり。しかれば、無明煩悩を具して安養浄土に往生すれば、かならずすなわち無上仏果にいたる、と釈迦如来ときたまへり。(後略)」
「真実の信心をえたる人は、摂取のひかりにおさめとられまいらせたり、とたしかにあらわせり。しかれば、無明煩悩を具して安養浄土に往生すれば、かならずすなわち無上仏果にいたる、と釈迦如来ときたまへり。(後略)」
ここでは、安養浄土に往生することが直ちに仏果を得ることではないことがわかります。「いたる」という言葉がもちいられているのは、同時ではないということでしょう。速疾に、すみやかにではあっても、「直ちに」ではない。もし直ちに仏果を得ることができるなら、お浄土はいらないことになります。
しかし「摂取のひかりにおさめとられ」ることと「安養浄土に往生す」ることが同じなのかどうかは判然としません。
正定聚と真実報土とのあいだにはへだたりがある。
「この人は正定聚のくらゐにさだまれるなりとしるべし。しかれば弥勒仏とひとしき人とのたまへり。これは真実信心をえたるゆえに、かならず真実の報土に往生するなりとしるべし。」
(〔第一書簡〕増谷文雄『親鸞集』日本の思想3・筑摩書房/二三二頁)
ここでは、正定聚のくらゐにさだまることが、そのまま真実の報土に往生することではないように示されています。「即得往生」を、信心がさだまれば直ちに往生することと釈した『唯信鈔文意』などと矛盾するように思われるです。お書きになられたのは、このお手紙が八十三歳、『唯信鈔文意』もほぼ重なる頃のものですから、年代による考えかたの相違とは見なしにくい。
「死後(後生)往生」をゆるすかに見える文(五)
『書簡』の文(四)
『真蹟書簡』
*第四書簡「これは珍しい書簡である。下野国高田の慶信なるものが、その思うところを記し、蓮位なるものを介して、親鸞にたてまつった。それに対して親鸞は、その上書を加筆訂正し、かつ、その上書の追申にたいし、その余白に簡単な返書をしたため、ふたたび蓮位を介して慶信にとどけさせた。(後略)」
〔第四書簡・南無阿弥陀仏をとなへてのうへに〕
慶信という人が自分の了解を書いて親鸞聖人に送ったお手紙を、聖人が添削(間違いを訂正)されているお手紙。(〔〕内が、添削部分)そこに、
此度(このだび)此身(このみ)の終り候はん時
「「真実信心うる人は、即ち定聚の数の〔に〕入る、不退の位に入りぬれば、必ず滅度をさとらしむ」と候。滅度をさとらしむと候は、此度(このたび)此身(このみ)の終り候はん時、真実信心の行者の心、報土にいたり候へば、寿命無量を体として、光明無量の徳用はなれたまわざれば、如来の心光に一味なり。(後略)」
(増谷文雄『親鸞集』日本の思想3・筑摩書房/二三八頁)
ここにある「滅度をさとらしむと候は、此度(このだび)此身(このみ)の終り候はん時、真実信心の行者の心、報土にいたり候へば」という部分を、聖人は添削しておられない。したがってそれを積極的に肯定しているかどうかは分からないが、少なくとも否定はしておられない。
『真蹟書簡』〔第六書簡〕
「このよにて真実信心の人をまほらせ給へばこそ、『阿弥陀経』には、十方恒沙の諸仏護念すとは申事にて候へ。安楽浄土へ往生してのちはまもりたまふと申すことにては候はず。娑婆世界ゐたるほど護念すと申事也。」
(増谷文雄『親鸞集』日本の思想3・筑摩書房/二四四頁)
「このよにて真実信心の人をまほらせ給へばこそ、『阿弥陀経』には、十方恒沙の諸仏護念すとは申事にて候へ。安楽浄土へ往生してのちはまもりたまふと申すことにては候はず。娑婆世界ゐたるほど護念すと申事也。」
(増谷文雄『親鸞集』日本の思想3・筑摩書房/二四四頁)
凡夫と菩薩
浄土教はもともと凡夫の教え。その意味では、来生(死後)の往生を求める凡夫にこそひらかれてきた教え。善導も、源信も、法然上人も、みな往生は死後なんです。
その凡夫の上に、菩薩の道をひらこうとご苦労くださったのが親鸞聖人。
凡夫を凡夫の身において菩薩たらしめんというのが、法蔵菩薩の願いであり、親鸞聖人が読み取られた『大無量寿経』の精神なんでしょう。
そこには、凡夫と菩薩という、ある意味では対立するような二つの要素があるんです。
親鸞聖人ご自身が、凡夫と菩薩のあいだを揺れておられるというか、共存させておられるように思われる。
『お聖教』を書かれている時は必定の菩薩。勇ましく力強い。求道心に燃えている姿。
お手紙を書かれているときは、安らぎを求める凡夫の姿。
ふたつの姿が、ちょうど曽我・金子両先生の姿勢にかさなるようだ。
往生は、現生と来生を問わない。
親鸞聖人は「往生」ということについては、ある時は現生に往生するといわれ、ある時は来生に往生するといわれて、両方を受け入れている。
親鸞聖人にとって何よりも肝心なのは、正定聚・不退という信心が確立するかどうかなんです。その正定聚・不退を得るときは現生と、はっきりしている。生きている現在に信心をいただく。そのことさえはっきりすれば、往生するのが現生か、死後かということは、実はあまり問題ではないんでしょう。
『歎異抄』の文
『歎異抄』第九章
「いまだ生まれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと」
『歎異抄』は、弟子の唯円による、親鸞聖人の語録とされている。したがって記録には、唯円自身の解釈が混じっている可能性もあるし、特に面前の唯円に対して語られた言葉という特殊性も考えられる。
第十四条「命終すれば……」(635頁)は明らかに死後を意味している。唯円の了解が「死後往生」であったことを示している。
『観無量寿経』の文
「身を捨てて他世に諸仏の前に生じて無生忍を得」(106頁)
資料(一)
古田武彦氏の主張 〔親鸞は「死後の浄土」を否定していない〕
古田武彦氏は、野間宏氏の次のような理解に対して、親鸞は「死後の浄土」を否定してはいないのだという立場で、反論しておられます。
「「浄土は決して実体として存在するものではないのである。」(野間『親鸞』岩波新書七四頁)
「もちろん真仏土は、いのちが終わって行きつくという浄土なのではなく、法の最高の働きそのものであり、その法の最高の働きそのものにふれてその法の把握を完成するところに涅槃があることが、いよいよ明瞭になる。」(野間『親鸞』岩波新書一七四頁)
この野間さんの「親鸞解釈」に対して親鸞自身の文章を対置しましょう。
「この身は、いまは、としきはまりてさふらへば、さだめてさきだちて往生しさふらはんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせさふらふべし。」
(『末燈鈔』十二・八八~九頁)
(『末燈鈔』十二・八八~九頁)
「かくしんぼう(覚信房)ふる(経る)としごろは、かならずかならずさきだちてまたせ給候覧(たまひさふらふらん)、かならずかならずまゐりあふべく候へば申すにおよばず候。かくねんぼう(覚然房)のおほせられて候やう、すこしも愚老にかはらずおはしまし候へば、かならずかならず一ところへまゐりあふべく候。」
(真蹟書簡五、二二~三頁)
(真蹟書簡五、二二~三頁)
親鸞自身が「死後の浄土」という考え方を前提にして、おたがいが死後、「あの世」で再開することを固く信じ、東国の親鸞教団の人たちと交信していたさまがありありとうかがえます。すなわち「死後浄土否定」は親鸞自身の考えではなく、野間さんの”主観的解釈”だ、そう言わざるをえないのではないでしょうか。」
(古田武彦『わたしひとりの親鸞』毎日新聞社・一九七八年/一九九~二〇〇頁)
(古田武彦『わたしひとりの親鸞』毎日新聞社・一九七八年/一九九~二〇〇頁)