浄土ー安田理深師の教え

 

 
 
 
 
浄土 安田理深師の教え
 
 
 
「浄土は外境ではない。信心の外にあるものを外境というのであるが、いかなるものも信心以外はすべて常識に属する。
したがって如来も信心の内にある。信心の内に見いした如来を、願というのである。人間の歴史は永い間国土を求めてきた。
存在の故郷を求めて来たのである。それが願生浄土の心に目覚めることによって、初めて分かる。」
 安田理深選集第十巻『願生偈聴記』総説分(二)文栄堂〔昭和六十年・一九八五年〕/一九六一年六月二四日の講義(二〇三頁)
 
 
 
「見いだす心自身、即ち信心に国土が初めて見いだされるのである。」
 安田理深選集第十巻『願生偈聴記』総説分(二)文栄堂〔昭和六十年・一九八五年〕/一九六一年六月二四日の講義(二〇三頁)
 
 
 
「対象的論理を回転するのである。そうでないと宗教の世界ではない。そこに見いだされのが、真実報土である。
それは空想ではない。実在するものである。したがって浄土を求めるということは、ある意味では真の実在の要求なのである。」
 安田理深選集第十巻『願生偈聴記』総説分(二)文栄堂〔昭和六十年・一九八五年〕/一九六一年六月二四日の講義(二〇三頁)
 
 
「求めるもの自体の目覚めである。」「真実報土は絶対現実であって、理想を表す概念ではない。」
 安田理深選集第十巻『願生偈聴記』総説分(二)文栄堂〔昭和六十年・一九八五年〕/一九六一年六月二四日の講義(二〇三頁)