「浄土論をめぐる東西の教学」藤元正樹

 
浄土論をめぐる東西の教学          藤元正樹    
 
「私たちにとって正依の経典と呼ばれるのは、いうまでもなく浄土の三部でありますが、同時に一論というのがございます。ほとんどその一論というのはあまり正依の経典として用いておりません。大谷派の場合は真宗聖典に『浄土論』はございますが、西本願寺の真宗聖典の場合は願偈はありますが、解義分は記載されておりません。」
 (藤元正樹『浄土論講義(一)』藤元正樹刊行会・二〇〇六年一〇月一日発刊 八頁)
「私たちの宗門の教学におきましても、伝統的にはほとんど善導・法然の釈でありますね。譬えていえば『歎異抄』を見ましても「経釈の明文」という言葉がございまして、論の一字は省かれております。経論釈ではなくて経釈の明文でありますね。ここには当然、宗門の教学というのが、偏依善導という法然の基本的な立教開宗の教学、「偏かに善導一師に依る」という、いわば『観経疏』を中心にした教学になっていったといえるわけですね。」(藤元正樹『浄土論講義(一)』藤元正樹刊行会・二〇〇六年一〇月一日発刊 八頁)
「三代覚如が宗門を形成した原理は、黒谷・親鸞・如信の三代伝持の教学にあります。あくまで黒谷という、法然上人の基本的な念仏の精神をもって浄土の真宗と呼んだわけでありましょう。」
(藤元正樹『浄土論講義(一)』藤元正樹刊行会・二〇〇六年一〇月一日発刊 九頁)
「しかし、親鸞の『教行信証』を、まあ大谷派ではこれを「御本書」と呼んでいますし、本派のほうでは「御本典」と呼んでおりますが、親鸞が浄土真宗というときにはいうまでもなく「大無量寿経 真実之教 浄土真宗」であります。それは『観経疏』でもなければ、あえて申しますれば、『観経疏』による『選択集』でもない。根本的には『大無量寿経』に立ったということであります。それが『教行信証』の二本柱として論と釈、つまり、『浄土論』と『観経疏』の構造になっています。」
(藤元正樹『浄土論講義(一)』藤元正樹刊行会・二〇〇六年一〇月一日発刊 九頁)
 

「申すまでもなく『選択集』には『浄土論』は出てまいりません、『観経疏』が中心であります。」
(藤元正樹『浄土論講義(一)』藤元正樹刊行会・二〇〇六年一〇月一日発刊 九頁)
 *(三木注)『浄土論』の名や天親の名前は出てくる。それによって法然は「三経一論」を立てているが、論の内容は引用されていない。
「これまでの宗乗といわれる宗門の学問でありますが、そこでも指摘されてまいりましたのは、『歎異抄』と『観経』の関係、あるいは蓮如の『御文』と善導の思想との関係、まあどちらもなんか『観経』とのなかで真宗の教学というものがずっととらえられてきたのが、真宗教学の基底にあるのではないかと思います。」
(藤元正樹『浄土論講義(一)』藤元正樹刊行会・二〇〇六年一〇月一日発刊 九頁)

 というよりも、やはり、覚如と蓮如なんでしょう。覚如の教学、蓮如の教学。覚如の教学についてはまた別の問題がありますが、蓮如の教学というのは、ほとんど法然さんの教学といっていいのではないでしょうか。

「論という視座から『教行信証』をとらえ直したのが、私はいわゆる大谷派の近代教学であろうと思います。大谷派の近代教学と申しますれば、申すまでもなく曽我量深の教学でございます。それはいわゆる存覚の教学、あるいは蓮如の教学、(中略)蓮如の教学もまたやはり『観経疏』が非常に大きなウェイトを占めております。だから、そういう目から見ますと、私たちは『教行信証』を長い間『観経疏』をとおして見てきたということがいえるのではないかと思います。それが近代において曽我量深師によって「論」の位置を回復したといえるのでしょう。」
(藤元正樹『浄土論講義(一)』藤元正樹刊行会・二〇〇六年一〇月一日発刊 九~一〇頁)