高明寺レポート
真宗大谷派宗門に対する公開質問状ならびに要望書
投稿者:admin 投稿日時:2009年12月22日 (火)
要望書
お返事を、この「公開質問状と要望書」が貴殿に発送された日付(配達証明書に記された日付)から一ト月以内に、「浅田正作先生の名誉回復を願う会」代表・真宗大谷派東京教区横浜組高明寺住職三木悟宛にご送付下さい。
送付先住所 二四一-〇〇〇一 神奈川県横浜市旭区上白根町二〇三-四
真宗大谷派宗門に対する公開質問状ならびに要望書
真宗大谷派宗務総長 安原 晃 殿
真宗大谷派宗務総長 安原 晃 殿
「浅田正作先生の名誉回復を願う会」
文責 真宗大谷派東京教区横浜組高明寺住職 三木悟
文責 真宗大谷派東京教区横浜組高明寺住職 三木悟
われわれは、今般、平成二十一年『真宗』誌三月号に発表された「『念仏詩文集 枯草独語』発刊に係るお詫びと回収のお願い」(以下「回収のお願い」と表記)に記された、浅田正作先生の著になる『念仏詩文集』(以下同様に表記)への宗門の処分に、深い悲しみと痛みとを覚える者です。浅田先生は、その著『骨道を行く』『続骨道を行く』(いずれも法蔵館発行)などを通して、われわれに真宗念仏の真実信心をお伝えくださり、教団の多くの先生方もその詩を引用し、讃嘆しておられる、われわれ宗門にとっての大恩人であります。
その浅田先生が、九十年の生涯を通して頂戴された信心のまことをお語りくださったであろう『念仏詩文集』が、一方的な断罪を受けて回収絶版の処分を受けたのです。その理由としてあげられた内容が本当にその通りであるのかどうか、当の著作が絶版とされた以上、確認のしようがありません。『回収のお願い』には、「著者と問題内容を確認の上」とありましたが、宗門の権威をもって譴責・糾明されれば、微力な個人は同意せざるを得ません。そこで、ここに質問をいたします。
その浅田先生が、九十年の生涯を通して頂戴された信心のまことをお語りくださったであろう『念仏詩文集』が、一方的な断罪を受けて回収絶版の処分を受けたのです。その理由としてあげられた内容が本当にその通りであるのかどうか、当の著作が絶版とされた以上、確認のしようがありません。『回収のお願い』には、「著者と問題内容を確認の上」とありましたが、宗門の権威をもって譴責・糾明されれば、微力な個人は同意せざるを得ません。そこで、ここに質問をいたします。
第一の質問
『回収のお願い』には「山口県光市で起きた母子殺害事件に係る裁判等に関して書かれた内容に重大な事実誤認があった」とされていますが、絶版に値するほど重大な「事実誤認」であったという、その「誤認」の具体的な内容はどのようなものであったのでしょう。「絶版」とは、宗門にとっては処置であり対処ですが、それを著した者にとっては、その表現を全否定されたことを意味します。ことばを重んじ、言論を衿持とする者にとっては、その「いのち」を失うにも等しいもっとも過酷な処分であり、歴史上の多くの言論弾圧の際にも用いられた、きわめて重大な思想統制行為です。
このような重大な処分がおこなわれた以上、その根拠は公明正大でなければなりません。
『回収のお願い』には「山口県光市で起きた母子殺害事件に係る裁判等に関して書かれた内容に重大な事実誤認があった」とされていますが、絶版に値するほど重大な「事実誤認」であったという、その「誤認」の具体的な内容はどのようなものであったのでしょう。「絶版」とは、宗門にとっては処置であり対処ですが、それを著した者にとっては、その表現を全否定されたことを意味します。ことばを重んじ、言論を衿持とする者にとっては、その「いのち」を失うにも等しいもっとも過酷な処分であり、歴史上の多くの言論弾圧の際にも用いられた、きわめて重大な思想統制行為です。
このような重大な処分がおこなわれた以上、その根拠は公明正大でなければなりません。
第二の質問
『回収のお願い』には、浅田先生の著作の内容が「同裁判の弁護人である安田好弘弁護士に対する言われなき非難であり、安田氏の人格を著しく傷つけるものでありました。」ともありますが、その「言われなき非難」とされるものはどのような言葉であり、「安田氏の人格を著しく傷つけるもの」とはどのような表現であったのでしょう。
『回収のお願い』には、浅田先生の著作の内容が「同裁判の弁護人である安田好弘弁護士に対する言われなき非難であり、安田氏の人格を著しく傷つけるものでありました。」ともありますが、その「言われなき非難」とされるものはどのような言葉であり、「安田氏の人格を著しく傷つけるもの」とはどのような表現であったのでしょう。
第三の質問
宗門の名において発刊される書籍である以上、宗門が責任をとることのできない発言や言論はこれを公にできない、というのはその通りであって、それが確かである限りにおいて、今回の処分に過失はないとも言えましょう。問題は、宗門が責任をとることのできない発言や言論の検証です。『回収のお願い』には、「編集に携わるものとして、裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足もさることながら、憶測や思い込みなどにより、事件の本質を見失っていた」とあります。とすれば、浅田先生の著作の内容が「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」であると宗門は判断したことになりますが、その根拠は何でしょうか。「重大な事実誤認」は、そのまま「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」を意味するわけではありません。また弁護士に対する批判も、そのままで「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」を意味するわけではありません。
言論の自由・思想表現の自由は、人権思想の基本であり、根本ですが、それは「批判と反批判」の自由を前提とします。批判を許さぬ言論は、言論の独裁です。「裁判制度や弁護士の職務に対する認識」をもつ者に、安田弁護士の弁護活動を批判することは許されていないのですか。近代国家における三権分立の思想は、司法・立法・行政のいずれかが独裁権力とならぬよう互いに牽制しあう制度です。裁判制度を含む「司法」もまた、立法・行政のみならず、本質的には国の主権者たる国民の絶えざる監視の下に置かれなければなりません。裁判官・検察官・弁護士も同様であり、疑義ある判決・起訴・弁護のいずれに対しても、国民はこれを監視し、批判する権利を持ちます。
宗門は、日本国の現行法体系の一部を構成する死刑制度を批判しています。法制度は批判し得ても、法制度の一部を構成する弁護士の行動と言説のみは、なんぴとも批判し得ないとするのが、宗門の「認識」ですか。
お尋ねいたします。東本願寺を発行者とする出版物の中で、誰を批判・非難したら、その出版物は「回収・絶版」となるのですか?「時の総理大臣」ですか?「時の宗務総長」ですか?「安田弁護士」ですか?「誰であっても」ですか?もしそうならば、宗祖親鸞聖人がお書きになられた『教行信証』をも、宗門は絶版としなければなりません。周知のごとく、そこには「太上天皇諱尊成、今上天皇諱為仁」への痛烈な批判と非難が述べられているからです。「誰か」を批判したら、ただ一本の通報で(今回の処分がどのような過程を経て決定されたのかも公表されていません。「ただ一本の通報」というのは、したがって譬喩としての表現です)、その本が絶版になる。その理由となった事実の開示もなく、一方的な裁断の告知だけで、処分が行われる。その恐ろしさこそが、今回の事件の「本質」です。
宗門の名において発刊される書籍である以上、宗門が責任をとることのできない発言や言論はこれを公にできない、というのはその通りであって、それが確かである限りにおいて、今回の処分に過失はないとも言えましょう。問題は、宗門が責任をとることのできない発言や言論の検証です。『回収のお願い』には、「編集に携わるものとして、裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足もさることながら、憶測や思い込みなどにより、事件の本質を見失っていた」とあります。とすれば、浅田先生の著作の内容が「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」であると宗門は判断したことになりますが、その根拠は何でしょうか。「重大な事実誤認」は、そのまま「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」を意味するわけではありません。また弁護士に対する批判も、そのままで「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」を意味するわけではありません。
言論の自由・思想表現の自由は、人権思想の基本であり、根本ですが、それは「批判と反批判」の自由を前提とします。批判を許さぬ言論は、言論の独裁です。「裁判制度や弁護士の職務に対する認識」をもつ者に、安田弁護士の弁護活動を批判することは許されていないのですか。近代国家における三権分立の思想は、司法・立法・行政のいずれかが独裁権力とならぬよう互いに牽制しあう制度です。裁判制度を含む「司法」もまた、立法・行政のみならず、本質的には国の主権者たる国民の絶えざる監視の下に置かれなければなりません。裁判官・検察官・弁護士も同様であり、疑義ある判決・起訴・弁護のいずれに対しても、国民はこれを監視し、批判する権利を持ちます。
宗門は、日本国の現行法体系の一部を構成する死刑制度を批判しています。法制度は批判し得ても、法制度の一部を構成する弁護士の行動と言説のみは、なんぴとも批判し得ないとするのが、宗門の「認識」ですか。
お尋ねいたします。東本願寺を発行者とする出版物の中で、誰を批判・非難したら、その出版物は「回収・絶版」となるのですか?「時の総理大臣」ですか?「時の宗務総長」ですか?「安田弁護士」ですか?「誰であっても」ですか?もしそうならば、宗祖親鸞聖人がお書きになられた『教行信証』をも、宗門は絶版としなければなりません。周知のごとく、そこには「太上天皇諱尊成、今上天皇諱為仁」への痛烈な批判と非難が述べられているからです。「誰か」を批判したら、ただ一本の通報で(今回の処分がどのような過程を経て決定されたのかも公表されていません。「ただ一本の通報」というのは、したがって譬喩としての表現です)、その本が絶版になる。その理由となった事実の開示もなく、一方的な裁断の告知だけで、処分が行われる。その恐ろしさこそが、今回の事件の「本質」です。
第四の質問
「これまで死刑が執行されるたびに宗務総長名をもって「死刑の停止、死刑廃止を求める声明」を表明してきたにもかかわらず、このような事態にいたりました」と『回収のお願い』にあります。「このような事態」にいたる理路は、『回収のお願い』から読み取る限り、浅田先生による「重大な事実誤認と安田弁護士に対する言われなき非難」=「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」=「死刑廃止を求める宗門の意思に対する違反」というものです。この「」で閉じた三つの項をイコールで結ぶためには、幾重もの検証が必要です。にもかかわらず、『回収のお願い』によって提出された内容だけから、これを検証することは不可能です。
マスコミによる裁判報道には、その真実性がどの程度保証されるかは別として、すくなくともその裁判に係わる公訴事実の内容は具体的に報じられます。しかしながら、今回宗門によって発表された『回収のお願い』には、浅田先生の著作が断罪された理由を構成する内容の具体的な報知もなく、宗門の下した一方的な判断と処遇の結論のみが、報知されています。マスコミ発表を「鵜のみ」にすることに対し警告を発する宗門が、宗門の発表は「鵜のみ」にせよというのですか。それは戦時中の「大本営発表」にみられる仕方であり、そこに露呈されているのは、権力の一方的な情報操作に対抗する報道の責務に対する認識もなく、かえって宗門自らが権力そのものと化している姿です。そこにあるのは、人権意識の根底的な欠落と、そのことの無自覚という闇です。
即ち、その具体的内容と検証の理路が宗門の全体に公開されない限り、浅田先生に対する非難は「言われなき非難」であり、「回収絶版」という処置は、根拠なく執行された、宗門による重大な言論封殺事件の可能性をもっているのです。
「宗門の意思」とは、「宗憲」および宗議会における議決事項、参議会において表明されたもの、およびその根拠をなす「宗門の根本理念」です。「宗門の根本理念」とは「宗憲」の上位概念であり、宗門における有形無形の最高規範(『教行信証』・『真宗聖典』・種々の善知識の著作や発言等によって表示された有形のもの、およびその背景をなす無形の思想・信心)です。我が国において日本国憲法の批判が封じられていないのと同様、宗門においても「宗憲」の批判は封じられるべきではありません。「宗門の根本理念」さえも、同朋公議によって討論され、吟味されることにおいて、たえず反省され、確認されていくべきものです。
もし仮に、その具体的内容と検証の理路が宗門の全体、即ち真宗大谷派なるサンガに公開され、浅田先生の著作が「宗門の意思の一部に対して違反」している疑いがあると判断されたとしても、そのことによって浅田先生は断罪されるべきではなく、その言論は封殺されてはなりません。安田弁護士を批判することは「死刑廃止論」を批判することと同じではなく、「死刑廃止論」を批判することは、宗門の根本理念を批判することと同じではありません。
宗務総長殿は、宗議会において決議された「死刑廃止を求める声明」が、「宗門の根本理念」とそのまま等価であるとお考えでしょうか。
「これまで死刑が執行されるたびに宗務総長名をもって「死刑の停止、死刑廃止を求める声明」を表明してきたにもかかわらず、このような事態にいたりました」と『回収のお願い』にあります。「このような事態」にいたる理路は、『回収のお願い』から読み取る限り、浅田先生による「重大な事実誤認と安田弁護士に対する言われなき非難」=「裁判制度や弁護士の職務に対する認識不足」=「死刑廃止を求める宗門の意思に対する違反」というものです。この「」で閉じた三つの項をイコールで結ぶためには、幾重もの検証が必要です。にもかかわらず、『回収のお願い』によって提出された内容だけから、これを検証することは不可能です。
マスコミによる裁判報道には、その真実性がどの程度保証されるかは別として、すくなくともその裁判に係わる公訴事実の内容は具体的に報じられます。しかしながら、今回宗門によって発表された『回収のお願い』には、浅田先生の著作が断罪された理由を構成する内容の具体的な報知もなく、宗門の下した一方的な判断と処遇の結論のみが、報知されています。マスコミ発表を「鵜のみ」にすることに対し警告を発する宗門が、宗門の発表は「鵜のみ」にせよというのですか。それは戦時中の「大本営発表」にみられる仕方であり、そこに露呈されているのは、権力の一方的な情報操作に対抗する報道の責務に対する認識もなく、かえって宗門自らが権力そのものと化している姿です。そこにあるのは、人権意識の根底的な欠落と、そのことの無自覚という闇です。
即ち、その具体的内容と検証の理路が宗門の全体に公開されない限り、浅田先生に対する非難は「言われなき非難」であり、「回収絶版」という処置は、根拠なく執行された、宗門による重大な言論封殺事件の可能性をもっているのです。
「宗門の意思」とは、「宗憲」および宗議会における議決事項、参議会において表明されたもの、およびその根拠をなす「宗門の根本理念」です。「宗門の根本理念」とは「宗憲」の上位概念であり、宗門における有形無形の最高規範(『教行信証』・『真宗聖典』・種々の善知識の著作や発言等によって表示された有形のもの、およびその背景をなす無形の思想・信心)です。我が国において日本国憲法の批判が封じられていないのと同様、宗門においても「宗憲」の批判は封じられるべきではありません。「宗門の根本理念」さえも、同朋公議によって討論され、吟味されることにおいて、たえず反省され、確認されていくべきものです。
もし仮に、その具体的内容と検証の理路が宗門の全体、即ち真宗大谷派なるサンガに公開され、浅田先生の著作が「宗門の意思の一部に対して違反」している疑いがあると判断されたとしても、そのことによって浅田先生は断罪されるべきではなく、その言論は封殺されてはなりません。安田弁護士を批判することは「死刑廃止論」を批判することと同じではなく、「死刑廃止論」を批判することは、宗門の根本理念を批判することと同じではありません。
宗務総長殿は、宗議会において決議された「死刑廃止を求める声明」が、「宗門の根本理念」とそのまま等価であるとお考えでしょうか。
第五の質問
宗務総長殿は、「宗門の根本理念」は何であるとお考えでしょうか。
宗務総長殿は、「宗門の根本理念」は何であるとお考えでしょうか。
「絶版」という表現者にとってもっとも過酷な処遇を受けた詩人であり、真宗念仏の善知識である浅田先生に対する今回の処断が、どのような過程で、どのような事実において行われたのかが、闇から闇へ葬られてよいはずがありませんし、宗門もまたそれを意図するものではないことを信じたいと思います。
宗門の外へ出れば、そこでは日本国憲法によって、われわれの言論と思想表現の自由は保証されています。しかし、現行の日本国家よりもなお高度に人権が保証される世界を求め、その内にあっては、宗門の根本理念のもとに集い、互いにのびのびと信条を吐露し、ときには厳しく批判し、弾劾し合いながらも、宗祖に導かれつつ、仏のみ名のもとに共なる世界を願わんとするわれわれにおいて、その言論が封殺されることがあってはなりません。日本の裁判が冤罪を生む最大の理由は、検察官による被告に有利な証拠の隠蔽と、それに対し証拠の開示命令を出さない裁判官の憶断と偏見です。今回の宗門の「絶版」処分においては、証拠以前に、裁判であればその前提となるべき「公訴事実」そのものが開示されていないのです。そのような裁判なき裁判の暗黒を、わが宗門が踏襲していいはずがありません。
宗務総長殿、どうか、共にお浄土を願うわれわれが自己の思想と信念を語ることに、恐怖を感じるような宗門にはしないで下さい。貴殿の判断に寄らなければ、わが教団のみならず、念仏の真実信心にとっての恩人である浅田先生の九十年の御いのちに傷をつけたまま、懺悔なき「人類に開かれた同朋教団」をわれわれは生きていかなければなりません。
以上を踏まえて、次のように要望いたします。
宗門の外へ出れば、そこでは日本国憲法によって、われわれの言論と思想表現の自由は保証されています。しかし、現行の日本国家よりもなお高度に人権が保証される世界を求め、その内にあっては、宗門の根本理念のもとに集い、互いにのびのびと信条を吐露し、ときには厳しく批判し、弾劾し合いながらも、宗祖に導かれつつ、仏のみ名のもとに共なる世界を願わんとするわれわれにおいて、その言論が封殺されることがあってはなりません。日本の裁判が冤罪を生む最大の理由は、検察官による被告に有利な証拠の隠蔽と、それに対し証拠の開示命令を出さない裁判官の憶断と偏見です。今回の宗門の「絶版」処分においては、証拠以前に、裁判であればその前提となるべき「公訴事実」そのものが開示されていないのです。そのような裁判なき裁判の暗黒を、わが宗門が踏襲していいはずがありません。
宗務総長殿、どうか、共にお浄土を願うわれわれが自己の思想と信念を語ることに、恐怖を感じるような宗門にはしないで下さい。貴殿の判断に寄らなければ、わが教団のみならず、念仏の真実信心にとっての恩人である浅田先生の九十年の御いのちに傷をつけたまま、懺悔なき「人類に開かれた同朋教団」をわれわれは生きていかなければなりません。
以上を踏まえて、次のように要望いたします。
要望書
今回の、浅田正作先生の著になる『念仏詩文集 枯草独語』回収絶版処分において、その処分の理由となった事実の具体的内容(対象となった文章の当該箇所)と、その処分に到った理路、またその開示を求めたこの「公開質問状と要望書」とを、本年八月号以内の『真宗』誌および『同朋新聞』に公開して下さい。またその処分への対抗意見として、浅田正作先生本人より弁護役を委任された(『委任状』を添付します)「浅田正作先生の名誉回復を願う会」代表三木悟の論述を、翌月または翌々月の『真宗』誌および『同朋新聞』に掲載することを、約束して下さい。掲載の要求に『同朋新聞』を含めるのは、『真宗』誌は寺族以外の一般門徒の目に触れる機会が少なく、それだけでは宗門の全体に開かれた同朋公議の意義を保証し得ないからです。
お返事を、この「公開質問状と要望書」が貴殿に発送された日付(配達証明書に記された日付)から一ト月以内に、「浅田正作先生の名誉回復を願う会」代表・真宗大谷派東京教区横浜組高明寺住職三木悟宛にご送付下さい。
送付先住所 二四一-〇〇〇一 神奈川県横浜市旭区上白根町二〇三-四
この「公開質問状と要望書」が、無かったものとして葬り去られる虞れへの防御として、同文を『中外日報』紙および『寺門興隆』誌に送付し、本文の掲載ならびに今後の真宗大谷派教団の動向を観察してほしい旨、依頼したことを付記します。またお返事がいただけました時は、その内容を宗門外に公開させていただく場合があることも、申し添えておきます。 合掌
平成二十一年 五 月 七 日
「浅田正作先生の名誉回復を願う会」代表
真宗大谷派東京教区横浜組高明寺住職 三木 悟
真宗大谷派宗務総長 安原 晃 殿
平成二十一年 五 月 七 日
「浅田正作先生の名誉回復を願う会」代表
真宗大谷派東京教区横浜組高明寺住職 三木 悟
真宗大谷派宗務総長 安原 晃 殿