『日本仏教と倫理』

 

 
 
 
 
『日本仏教と倫理』
 
「仏教の倫理」
                                   真宗会館日曜礼拝法話 2010年6月13日(日)
 
〔本文〕
 
1.大テーマは「救いと責任」
  〇宗教にふれることで照らしだされてくる宗教的人生(宗教的実存)
   には二つの側面がある。
   ひとつは「わたし一人が救われること」
   もうひとつは「共なる世界で生きること」=「共に生きること」
 
  〇真宗はこれまで、「わたし一人が救われること」を説いてきた。
   しかし、「共なる世界で生きること」についてはあまり語ってこなかった。
   「倶会一処」ということは言ってきた。「ともに会いましょう」
   しかしそれは「今、共にどう生きるか」ではない。
 
  〇「共なる世界で生きること」には「共なる世界においてどう生きるか」ということがふくまれる。つまり、倫理とか責任という問題が出てくる。
 
 
2.仏教の倫理(「日本仏教と倫理」)
 
  〇そこで、「仏教の倫理」というテーマをあげたわけだが。
 
  〇「共なる世界で生きること」の問題が欠けていたのは真宗だけではない。
   日本仏教そのものが、現代社会から、そういう批判を受けている。
 
  〇たとえば「お寺が風景にすぎない」「仏教にふれるのはお葬式のときだけ」
   「死んだ人の供養をするだけで、生きている人間に関わっていない」
「平和・差別・人権」などの問題に、仏教は冷淡で無関心だ……等々。(参考*尾畑350頁)
 
  〇現代に限ったことではない。
   明治の頃にも仏教批判があった。
   江戸時代にもあった。
 
 「仏教の倫理性欠如はとりわけ日本仏教の場合に著しいといわれる。」
    (末木文美士『仏教VS.倫理』ちくま新書〔二〇〇六年〕26頁)
 
 
 
 
 
 
 
3.江戸時代の仏教批判
 
●林羅山と、その師・藤原惺窩の批判
 
儒学者の仏教批判---総じて、「仏教は五倫五常をもたない」という批判。
 
五倫五常とは
  五倫(君臣の義・父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)
 
  五常(仁・義・礼・智・信)
   (柏原祐泉編『近世仏教の思想』続・日本仏教の思想・岩波書店520頁)
 
 
 〇林羅山(はやし・らざん)--- 「釈迦や仏教徒は、山河大地(この世)を仮のものとし、人倫を幻や妄想とする。
それによって義理を滅ぼしてしまう。
君臣を去り、父子を棄てて道を求めるが、主君に奉える義や子が父を敬うことを離れてどこに道があるか」(拙訳)
    (『羅山先生文集』拙訳/柏原祐泉編『近世仏教の思想』続・日本仏教の思想・岩波書店520頁)
 
 羅山(1583~1657)は「世俗上、身分上では、江戸時代で最高の地位に昇った学者と言えるが、(……)
特に近代では幕藩体制の御用学者と考えられ、不人気が固定した観がある。」
                                                        (『日本思想大系『藤原惺窩・林羅山』月報49/伊藤多三郎)
 
 封建倫理の立場からの批判だから、その批判にも問題がある。
 しかし、たんに封建主義者の批判だといってすませるわけにはいかないものがある。
 
 
 
 
 〇たとえば、藤原惺窩(ふじわらの・せいか 1561~1619)----羅山の師匠にあたる人。もともとは禅宗のお坊さんで、
臨済宗相国寺の高い地位(舜主座)にもついた人。
この人の思想については、世界に誇れる倫理思想を西洋に先がけて表してたといって、
非常に高く評価している学者さん(*武藤信夫氏)もいる。
 
 たとえば、「小異を捨てて大同につく」という言葉がある。武士道のことば。
 惺窩はこれを「小異を尊び大同につく」という考えを示した。
(比較思想学会ノート 2009年4月25日 武藤信夫氏発表『日本の真の「和」の思想より/於・大正大学)
 これは民主主義の精神といっていいが、実際の民主主義においても、多数決原理が支配して「小異を尊ぶ」という精神は
ほとんど忘れられている。その意味でも、「小異を尊び大同につく」という考えは、大事な考え。
 
 この惺窩が、何故、仏教から離れて儒教にいったか。
こう言っている。
 「我、久しく釈氏に従事す。しかれども心に疑いあり。聖賢の書物を読みて、信じて疑わず。道、果たしてここにあり、あに人倫の外ならんや。
釈氏はすでに仁種を絶ち、また義理を滅す。これ異端たる所以なり。」
(林羅山「惺窩先生行状」/『日本思想大系『藤原惺窩・林羅山』岩波書店〔一九七五年〕473頁)
 
 当時の大きな寺の仏教者は、時の権力者・戦国大名たちと組んで、うまい汁を吸っていた。惺窩はそういうことも批判している。
 「人倫の外」ではなく「人倫の内」にこそ真実がある。これが惺窩の考え。
 
 
 
 
 
●中江藤樹と熊沢蕃山
 
 同じ儒学でも、「反封建的」と呼ばれることもある(石田一良『日本思想史概論』)ような、儒学がある。
 
中江藤樹(なかえの・とうじゅ)---近江聖人とよばれ農民から慕われた。
 
 この人は、同じ儒学でも、朱子学を捨てて陽明学をとった。朱子学は、幕府教学の要で、林羅山に代表される。
 なぜ朱子学を捨てたか。
朱子学のなかにふくまれる「厳格な規律」の要請をきらい、人間の心の自由、個人の心の自由を、信頼し尊重するという立場。
 この藤樹の思想は、「藤樹学」とも「心学」ともいわれる。
 
 藤樹の仏教批判---「(仏教は)いろいろ、さまざまに、ことばを巧みにし、寓言をつくりて、人心をまどはし禽域へひき入、
世教のさまたげとなる事、挙げてかぞへがたし」
                                        (『翁問答』/柏原祐泉編『近世仏教の思想』続・日本仏教の思想・岩波書店521頁)
 
 
 藤樹の思想は幕府からは嫌われる。林羅山もこれを嫌って批判している。
 
 しかし武士の中にも、この藤樹学に心酔した人がいる。
 たとえば岡山藩主、池田光政。藤樹学に依って善政・徳治政治を行おうとした。
 そして藤樹を岡山に呼びよせようとしたが、藤樹は断る。近江、琵琶湖のほとりの人だが、ふるさとの年老いた母親のもとをはなれたくない。
また二君に見(まみえ)ることも潔ぎよしとしないという理由。
 
 
 
 
●蕃山の「仁政」思想
 
 
 そこで選ばれたのが、熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん)。
 蕃山は藤樹の弟子であり、地元岡山の出身でもあった。
 そうして、熊沢蕃山は、岡山藩のいわば政策顧問になる。
 
 その「仁政」を行うにあたっての心得として、藩主をふくめて、
 
一、まず、自分の主張だけを通すのではなくて、回りの人の意見もよく聞きなさい。
 
二、分からないことは恥とおもわずに質問しなさい。
  それをしないから、世の中のことが分からず、人民の嘆きも聞こえず、藩の中で何が起こっているのかも知らずにすましてしまうのだ。
三、儒教・仏教・神道の三つとも大事にして、かたよってはいけない。
 
 だから蕃山は仏教そのものを否定しているわけではない。本来は大事にすべきだという。
四、賞罰にかたよってはいけない。罰が厳しすぎてもいけないし、褒美をあげすぎてもいけない。賞罰は不得已(やむを得ず)にして用ふ。
必とするにあらず。
                             (拙訳)
    (圭室文雄「封建倫理と排仏論--熊沢蕃山の場合-」/下山積與編『日本における倫理と宗教』吉川弘文館〔昭和五五年/一九八〇年〕所収 二一八頁)
 
 
 
 
 
●岡山藩の改革と天災(藩主・池田光政)
 
 当時、岡山で飢饉が起こる。承応三年(一六五四)の岡山大飢饉
 「承応三年(一六五四)七月、岡山藩では旱魃に続く大洪水があって、その被害は、(…)流死者一五六人、各地の橋・池・井堰・堤などの
崩壊はおびただしく、引つづいて起こった大飢饉では、約四〇〇〇人の餓死者が出るという未曾有の大災害に見舞われた 。」
                      (参考.後藤陽一「熊沢蕃山の生涯と思想の形成」/日本思想大系『熊沢蕃山』岩波書店・解説 四八四頁)
 
 そのとき光政は、「一人の餓死者も出してはならない」といって、
阪蔵屋敷の蔵米を取りもどして、飢人の救済に当てた。
 郡奉行・代官らに対しては、「慈悲正直を以て万事取り行なうこと」を指示する。
 
 一、農民たちが借りたお金や米については、返さなくてもいい。
 一、庄屋についても、村人たち自身の意思で、投票(入札)で選びなさい。
 として、素朴な選挙制度の導入さえ考えています。
 
 かくて、家臣たちの間では、藩主が「百姓計りを大切にして、自分たち武士をないがしろにする」という不満が起こるほどだった、という。
 
 このとき、その中心となって活躍したのが熊沢蕃山ですが、その蕃山がきびしい仏教批判をしている。
蕃山の仏教批判---その岡山大飢饉の折、農民たちがさんたんたる生活をしている時でさえ、寺院僧侶は贅沢、華美な生活をしていた。
本来の仏教の教えも忘れて、堕落しているという批判。
 それを蕃山は、「寺請制度による僧侶の民衆収奪」として批判する。
 そうして、無用の仏教寺院が、藩の財政を食いつぶしているんだと。
 
 
 同じような批判が、他の儒学者たちからも次々に出てくる。

●国学と神道の儒仏批判(本居宣長・もとおり・のりなが)

 
 国学および神道の立場からの仏教批判についても言及しておくと、
 この立場からは、「儒仏批判」であって、仏教も儒教もともに、外来の思想として批判される。
 
 「それはわが国の古道、古神道を理想とし、古代的精神の復活をめざし、古代の素朴な自然的、現世的世界観への
再帰を目的とするものであった。
したがって、そこには人間の情の世界を真実なものとして認め、生をそのままに肯定する、人間主義的、主情主義的な考え方があり、
ここから仏教を自然の情に反する作意的なもの、古代的精神に反する非国風的なものとして批判した。」
   (柏原祐泉編『近世仏教の思想』続・日本仏教の思想・岩波書店528頁)
 
 たとえば宣長は、
 「儒仏は人をおしへみちびく道なれば、人情にたがひて、きびしくいましむる事もまじりて、人の情のままにおこなふ事をば悪とし、
情をおさへてつとむることを善とすること多し」
                           (『紫文要集』上巻/柏原祐泉編『近世仏教の思想』続・日本仏教の思想・岩波書店528頁)
 
 「儒仏がともに人間の自然な情の世界を遮断し、「真心」に反することを説」く、
(柏原祐泉編『近世仏教の思想』続・日本仏教の思想・岩波書店528頁)といって批判する。
 
 
●平田篤胤(ひらた・あつたね)---宣長は、儒仏は批判したが、徳川幕府の存在については肯定的だった。
それが、宣長の後を継けて登場する平田篤胤になると、尊皇思想が出てくる。
 
 
 
 
●水戸藩と水戸学   
 
 この尊皇思想は、天保期から幕末にかけて、封建制社会の衰退と、また黒船の来航に始まる外国勢力の登場に対する、
国家的危機の自覚とともに台頭してくる。
 その代表が水戸学。
 「幕末の尊王攘夷運動の指針は、水戸学によって打ち立てられた」(石田221頁)
といわれる。
 
 水戸藩では、二代目藩主・水戸光圀の文教振興、『大日本史』編纂事業によって、国家の伝統、天皇の尊厳、
道義の厳正と実行を重んずる学風が起こった。
 これは朱子学にもとづく儒教思想が基本だが、「天皇の尊厳」という神道的・国学的要素をもっていた。
 この光圀の興学の精神は一時失われますが、藩主・斉昭(なりあきら)の時代に、天保の藩政改革が行われます。
 天保期というのは、さきに言ったように、封建制社会の衰退と、また黒船の来航に始まる外国勢力の登場に対する、国家的危機の時代。
 この時期に水戸藩で提唱され、幕末の、尊王攘夷運動の原動力となったのが、水戸学。
 
 その(水戸学・天保の改革の)要旨は「神国観にもとづき、古代の天皇親政を理想とし、異端・邪説を排斥し、敬神尊王と道義実行とをもって
教学を振興し、人心を奮発せしめて革新の機運を起こす」というもの。(参考:石田一良編『日本思想史概論』吉川弘文館220頁)
 その異端邪説とは、「神道を妨げ国家に害をなした仏教」
 それから、「神仏習合その他神道に仮託した俗信仰など」(参考:石田220頁)
 
 水戸学において、尊王思想と、儒教の倫理・道徳思想が結びつく。
 したがって、本居宣長などは批判の対象になる。
 すでに言ったように、宣長は人の自然の心を重んじるので、倫理という点では曖昧。
 「国学者の復古主義は、他にくらべてよろしいが、自然を重んじ、儒教を批判して、倫理・道徳を軽んずるのは」(参考:石田220頁)
よろしくない、というわけです。

●神仏分離と廃仏毀釈(排仏棄釈)

 
 そうして、明治維新に入るわけですが、その明治維新政府がとった宗教政策が「神仏分離」政策です。
 政府の意図としては「神仏分離」であって、必ずしも廃仏毀釈というわけではなかった。
しかしそれが、廃仏毀釈の嵐となって吹き荒れたのは、仏教に対する民衆の不満と怒りがあったからだと言われる。
 江戸時代を通して、仏教寺院は、権力の保護に安住して堕落し、民衆に対しては「諦めの思想」を説きつつ、
支配と収奪の役割を果たしてきた。
 
  それがすべてとは言えないまでも、大枠としては、そう言わざるをえない事実があった。
 そして、儒教からも国学からも批判される。
 それに対して、仏教自身の中から、「それでは駄目だ。僧侶自身が、もっと姿勢を正すべきだ」という人たちも出てくる。
 
 たとえば、真宗に縁のある人でいえば、
 
●大谷派の講師で、香樹院徳竜という人がいた。                  
 
 
 
 
 
4.仏教者の模索
 
 
 
●大谷派講師・香樹院徳竜(1772~1858)
 
 
 そもそも蓮如上人が「坊主というものは大罪人なり」(『御一代記・二八九』)と言って諌めてくださっているように、
僧侶は、在家にまさる「大罪人」なのだ。
そのことを自覚し、懺悔して、そのような罪人をも救ってくださる阿弥陀如来のご恩を深く感謝しなければならないのに、
その自覚もなく、堕落し、安逸を貪っている。
 
 
 「門徒を偽り諂(へつら)いて、物をとり、それがために、人をして仏法を軽蔑せしめ、僧宝を誹謗せしめ、我身の罪業はいふにおよばず、
人にも広大な罪を造らせて、共に泥梨(ナイリ・地獄)に沈むことをば何とも思はず。」
                                                            (『僧分教誡三罪録』〔一八二六年以前〕柏原37頁)
 
 
 「悪造りながら、地獄へ落ちぬが、他力をたのむ宗義なりと、口には明かにいはねども、
心のそこに、自ら造悪を許す邪見におちいる人もあり」(柏原 40頁) 
 と言って、とくに真宗僧侶に、きびしく自戒を求めている。
 
 
 
 
●真言宗・慈雲(尊者)飲光(1718~1804)
 
 
 それから真言宗の慈雲尊者。慈雲飲光。
 宗派にはこだわらず、曹洞宗とも深い縁をもった。今、曹洞宗で用いている袈裟の形は、慈雲尊者が発案したものだという。
 この人は「十善業道」を説いた。
 「十善業道」は原始仏教からある仏教倫理だが、日本仏教の中で失われていたものを掘り起こして、民衆にまで広めた。
 現在、曹洞宗や真言宗で唱える「十善戒」は、おそらく慈雲尊者の影響によるもの。
 
 
 
 
〇このように、江戸時代にも、仏教の倫理を回復しようとした方々はいた。
 しかし大勢は変わらない。仏教への批判は、明治維新以後もつづく。
 
 
 
 
 
5.明治期の批判と模索
 
 
 
 明治になると、仏教は、江戸時代以上の攻撃にさらされることになる。
 廃仏毀釈で大打撃を受けたわけだが、加えて仏教を攻撃したのは、十九世紀の末から二十世紀初頭にかけて、
欧米に渡って見聞を広めてきた者(たとえば福沢諭吉)たちによってもたらされた、近代思想。
  もう一つは、明治になって禁令が解かれたキリスト教。
 
 
 仏教はキリスト教からも、「厭世的」で「倫理性が欠如している」という批判を受ける。
 その場合、主な批判は三点。
 
 
  ●遁世主義-仏教が世俗超越の方面ばかり強調し、現実の問題に無関心になる。
 
 
  ●空・一如思想-すべては空・無実体。悟りの世界は一如。善悪の区別もなくなる。
 
  
  ●宗教体験の絶絶対化---(悟り・救われ体験)が絶対価値となり、外のことを軽視する。
 
 
 
 
 
国家権力に対する態度
 
 
 
 この明治期に、仏教者が対決しなければならなかったのは、一つは、今言ったような 仏教の教義そのものに対する批判。
もう一つは、国家権力。
 
 
 その場合、国家権力との関わりにおいては、態度は三つ。
 
 
1)権力に寄り添う・あるいは迎合する。
 
 
2)権力に反抗・対決する。
 
 
3)権力にたいする宗教の独立性を主張する。
 
 
 
 
 
1)の立場。
 天皇を奉戴し、明治国家の論理に従っていく。あるいは折り合いをつけていく。真宗では「真俗二諦論」と呼ばれる。他宗でも同じ。
 伝統的な「鎮護国家」や「王法為本」等の教説を基本として国家との結びつきを強め、「護国即護法」の論理を用いる。
 
 
 
 
2)の立場。
 帝国主義・資本主義に反対し、社会主義や無著政府主義を唱える。
 ●その代表的存在が、「大逆事件に連座した」仏教者たち。
  曹洞宗・内山愚童(死刑)、臨済宗・峯尾節堂(無期)、真宗大谷派・高木顕明(無期)、佐々木道元(無期・真宗出身)等
 
 
 ●新仏教徒同志会(仏教清教徒同志会)  境野黄洋(1870~1933)
 「新仏教運動は教団仏教を否定」した。教団も僧侶もいらないという。また国家権力からも、仏教は解放されなければならないと主張。
 
 
 
 
3)の立場。
 ●西本願寺の島地黙雷。『三条教則』批判。
 庶民教化の手段として、仏教の利用価値を再認識した明治政府は、教部省を新設して、全国の神官・僧侶を教導職に任命し、
「三条教則」に基づく説教教化に当たらせた。
 
 
 
  一、敬神愛国の旨を体すべき事
  一、天理人道を明かにすべき事
  一、皇上を奉戴(ほうたい)し朝旨を遵守せしむべき事
 
 
 
 の三条を庶民教化の基本教則として掲げた。
 島地はこれにたいして、「政教分離」の西欧思想をもって批判した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
仏教批判に対する模索(明治期仏教の倫理)
                             
 また、仏教の教義そのものへの批判に対しても、明治の仏教者たちは模索をしている。
 とくに「倫理」の問題は、「近代仏教の形成を目指す仏教者にとって、極めて重要な課題」の一つだった。
 その「倫理」の問題にしぼっていえば、 
 
 
 ●権力への迎合、また従来の封建道徳を説くもの
 
 浄土宗『説教帷中策』(岸上恢嶺)の思想
 田村圓澄氏によれば、この書物(『説教帷中策』)は、「明治・大正を通じて、浄土宗布教師の、標準的な説教指導書の役割を果たした」
というものですが、
そこでは、「現世に対する諦めないし忍従」を説くと同時に、「朝旨を遵守し」「国法に遵い王法を守る」ことが、「善」として勧められます。
 また、「「勧善懲悪道徳」として、「両親ヲ大切ニシ」「嫁ハ姑ニ孝養ヲ尽シ、夫婦ノ中睦敷ク、親子兄弟和順」することが説かれるのは、
江戸時代の儒教道徳を継承したものといえるであろう。」
   (田村圓澄『日本仏教思想史研究〔浄土教篇〕』平樂寺書店〔一九五九年〕226頁)
 
 
 
 
 
*それとは別に、あるいはそれと重なりながら、
  ●廃悪修善の教え
 
 
  一.七仏通誡偈
  「諸悪莫作」「衆善奉行」「自浄其意」「是諸仏教」
 
 
 
  二、十善業道(十善戒)---してはいけないこと
  1)不殺生(殺さない) 2)不偸盗(盗まない) 3)不邪婬
  4)不妄語(嘘を言わない)                          
   5)不両舌(中傷をしない) 6)不悪口(乱暴なことばをつかわない)
  7)不綺語(まことに背いて、ただ耳目をおどろかす言葉を言わない)
  8)不貪欲(欲張らない) 9)不瞋恚(怒らない)
  10)不邪見(間違った見解をもって、固執しない。それを言い張らない)
 
 
 
  三、四摂事(布施・愛語・利行・同時(その人の身になること))---した方がいいこと
 
 
 
  四、四無量心(慈・悲・喜・捨)----もつべき心掛け・心根
 
 
 
  五、四恩(父母の恩・衆生の恩・国王の恩・三宝の恩)
 
 
 
 
 ●清沢満之の精神主義   
 
 
精神主義は超倫理を説くが、それがまた批判を受ける。
 「社会と真宗との没交渉問題については、清沢の精神主義運動が、仏教清徒同志会によって、
「主観的信仰」に自閉して現実批判の契機を喪失したとして批判されたことから始まる」
 
 
 「(精神主義によれば)真宗の俗諦の目的は、もっぱら倫理や道徳的行為の実行が容易になしえないことを感知せしむることにあった。」
                                                                                                              (池田 270頁)
 
 
 (明治)二十年代後半から近代仏教成立期の三十年代にかけて、体制側が示す教育勅語を基調とする道徳観」が押しつけられた。
 また「資本主義社会が求める倫理観」に対する、アンチテーゼとして、精神主義は意味をもつ。しかし、世に処す具体的な倫理は出てこない。 
 
 
 
 
  やはり模索。現代の仏教批判を紹介したように、現代においても模索。
「煩悩即菩提」「不断煩悩得涅槃」をまちがえると無倫理・無責任思想になる
 
 
 
〇とくに真宗は、倫理を考えたり、社会問題にかかわることを、「自力作善」として捨ててしまう傾向がある。
これは乗りこえなければいけない。
 
 
 
 
6.現代における模索(「したほうがいい事・いけない事」「法と裁き」) 
 
 
 
  〇ひとつは「したほうがいい事」「身につけたほうがいいもの(徳))」     
  「たすけられたり、たすけたり」の回復---相互扶助 「仁」「礼」「知」「信」
                             「慈悲喜」「智慧」
 
 
  〇ひとつは「していい事としてはいけない事」---公正・平等・正義 「義」
    「正義」はなくていいのではない。絶対化が問題。        「捨」
                    嘘をつかない・約束を守る   「信」
 
 
  〇そして「いけない事をしてしまった時」の問題。
  耐震偽装・食品偽装・年金不正・天下り・政治資金・振り込め詐偽
  学校のいじめ・相撲部屋のリンチ・強盗・強姦・殺人
 
 
 「いけないこと」の中にも、言葉で叱ればすむこと---「注意」「訓告」のレベルから、何らかの強制力の執行が伴うものの区別がある。
「懲罰規定」。
 
 
 国家・一般社会であれば、「民法」や「刑法」という「法」。
 そこには、「損害賠償」「罰金」「懲役」「死刑」にまでいたる「法の裁き」がある。 それらは皆、「倫理」の問題と深い関わりをもっている。
 「法と裁き」の問題
  まさに「裁判員制度」の問題。
 
 
 
 
7.「赦し」と「責任」
 
 そして「赦し」の問題。
 
  〇井上洋治さんの「宗教的次元と道徳的次元」の区別 
 
 人間の「罪」について考えるときには、「あなたと私」という宗教的次元と、「あなたと彼」という道徳的次元のちがいがあるのであって、
それを混同してはいけないと、井上洋治氏は言われます。(注1)井上洋治『余白の旅』日本基督教団出版  から
 
「実は私は以前からずっと、ある一人の男性を(…)、鬼になって本当にたべてしまってやりたいと思っていました。
それが先日の日曜日、御聖体を拝領しようとしたとき、ふっとイエスが私にこういっておられるように思えたんです。
『そんなにあの人をたべてしまいたいのなら、あの人の代わりに私をたべなさい』」。
 
 「他の人を傷つけてはいけない、そんなに他の人を傷つけたいのなら、代わりに私を傷つけなさい。
これこそがまさにイエスの十字架の死の意味ではないか。」
    (井上洋治『余白の旅』日本基督教団出版   一七三頁~一七八頁)
 
 「 イエスのまなざしは、自分を裏切るとわかっている人間をも決して見棄てず、
これを自らの哀しみと痛みとにおいてゆるし受け入れるまなざしである、ということも真実であれば、
また同時に、姦通者も泥棒もゆるすイエスであり、裏切ろうとする弟子たちに
「お前の気持ちは分かる、私を裏切るがよい」といったイエスではあっても、
弟子たちに対して「姦通をしてもよい、泥棒をしてもよい」などとは決していいはしなかったであろう
イエスであるということもまた真実なのである。」
 この二つは、「あなたと私」という宗教的次元と、「あなたと彼」という道徳的次元において共に真実である。」
 その宗教的次元と、道徳的次元を混同してはいけないと。
 
 
〇安田理深先生の「存在の責任」

 真宗の人として、もっとも深く「責任」を考えてくださった人。

 

「業と責任」についての言葉
 
 「底なき深淵を表すものが、業である。決して単に個人的意義のものではない。
 機の深信ということも、単に表面的な自覚であれば、罪悪感にとどまるものである。
 けれどもそれは、無限の根底を語るものである。自分が造った意識ではないが、その責任は自分にあるものである。
倫理的自覚などというものではない。
 自業自得ということもあり、それに違いはないことではあるが、それよりももっと深い、手の届かないようなものの自覚である。
 深層の沙汰である。一人ひとりが造ったものでありつつ、人間全体の責任を荷負するような自覚である。
 それというのも一人ひとりが全人であり、この十方衆生の自覚で倫理意識を破っているのである。」
     (安田理深『願生偈聴記』総説分(二)・第四十三講 人間成就への論議(一九六一年六月二日の講議)
                                             /「安田理深選集〔第十巻〕」文栄堂〔昭和六〇年/一九八五年〕255~256頁)
 
 これは宗教的自覚のことばです。
 宗教的自覚は、倫理意識よりも深い。
 
 つまり、宗教的自覚のもつ責任は、世俗的倫理のもつ責任より、ずっと重い。
 
 ある社会に生活する人は、その社会における最低限の責任として、その社会の「法」規範を遵守しなければなりません。
 もし遵守できなかった時は、当然、その罪に応じた法の裁きを受けることになります。
 そして、その上にさらに、宗教的な世界に出遇う人たちは、その宗教世界において見出された責任を、自らの自覚において引受けるのです。
 
結語
 
 人間の全責任を荷負するとは、諦めず(放棄せず)、居直らず、甘えてはならない時に甘えず、甘やかしてはならない時に甘やかさず、
償うべきを償い、願うべきを願い、造るべきを造り、越えるべきを越えていくことでしょう。
 自らの一人において、自らが何をなすべきか、何をなすべきでないかを、たずねつづけることでしょう。
 
  経済・教育・労働・雇用・戦争・平和・差別・医療・家庭・人間関係……
 
 そういう問題に、仏教はどう応えていくのか。解答ではなく、応答。
 どう応答するか。それが、仏教自身の社会に対する責任だと思う。
〇もちろん、仏教も真宗も、まったく語ってこなかったわけではない。
〇大谷派教団の宗派声明でも、「ハンセン氏病問題」「靖国問題」「臓器移植」「死刑問題」など。
〇身近なところでは、この真宗会館でも、「老人介護」「夜回り先生」など。
 とくに「老人介護」の問題は、みんな身につまされている。
 そういうときに、仏教がどういう道しるべを、手がかりを与えてくれるのか。
〇「わたし一人が救われること」とは、「信心決定」。もちろん大事な問題。
 それを常に胸におきながら、「共なる世界でどう生きるか」をたずねたい。
 
〇「ただ念仏」とは、そこで仏さまの教えにたずねること。
 仏さまは、どういう「生き方」「あり方」に向かってわたしたちを導こうとしてくださるのか。
 それを、お互いにたずねあうこと。